道教・儒教 VS 仏教をめぐるトンデモ言説(「新アジア仏教史06」4章)
19世紀にヨーロッパ人が仏教徒を発見したときに、研究者らのあいだでいろんなトンデモ説が飛び交って、「大昔にアジアに伝わったキリスト教の成れの果てである」なんていう説まであった。
異教との出会いは往々にしてそういうものらしい。中国に仏教が伝来したときも、
「儒教・道教と仏教と、どっちが上か?」という激しいバトルが繰り広げられ、トンデモ説が飛び交ったそうだ。いわく、孔子・老子と仏は同じ者だとか、いやマハーカッサパが老子だとか、失礼ながら爆笑してしまった。
以下は、『新アジア仏教史06 仏教の東伝と受容』第4章「三教の衝突と融合」(著・河野訓先生)からいくつかの例をピックアップ。
老子(上)と孔子。仏とは違うと思うな・・・。
・ 三教を比べて論じた現存最古の論書は牟子(ぼうし)が書いた『理惑論』(後漢代?)。
・ 『喩道論』(孫綽・そんしゃく 311頃~368頃)
仏教への批判に対して孫綽が答えるという形式。
中国の周公、孔子と仏は同じ者である。
外なる政治の世界から名をつけると周公、孔子であり、内なる宗教の世界から名をつけると仏である。
・ 『老子化胡経』(ろうしけこきょう、300年前後)道士の王浮が書いたとされる。
老子が仏となった(作仏説)、または、仏陀は老子の弟子だった(化胡説 胡人=西域人を老子が教化した、の意)
・ 対して仏教側は『清浄法行経』などの偽経をつくった
お釈迦さまが阿難に言う――私は摩訶迦葉ら3人の弟子を中国に派遣した。それぞれが中国では老子、孔子、顔淵(孔子の弟子)と呼ばれたのだ。として仏教の優位を主張
・ 『夷夏論』(いかろん、467年)著者は顧歓(こかん)
孔子・老子は仏である。道教と仏教は同じことを説いているが、教化の仕方が違う。
(と言いつつ、後半では仏教を激しく批判)
仏教は破悪の方術で、道教は興善の方術。
仏教が相手にしているのは、夷狄(異民族)の劣悪な人間だから、破悪の教えであって勇猛であることを尊ぶ。道教が相手にしているのは善良な中国人だから、さらに善を益す教えで、あるがままを尊ぶ。
・ 『神滅論』 儒学者・ハンシン(漢字が出ない・・・450~507年)
仏教に溺れている者どもを救いたい。
仏教徒が、困窮している者や親戚をほっといて、仏や僧侶に嬉々として財産をつぎ込むのは、自分だけ功徳を得ようとしているのだ。等々と激しく批判。
というわけで、道教・儒教の人たちから見ると、
仏教のどこが「けしからん!」かというと、
・ 親孝行しない。家を捨ててほっつき歩き、子孫も残さない。先祖供養もしない。
・ 髪を剃ったりして、親からもらった身体を傷つける
・ 働かない(労働禁止)
・ 野蛮な異民族の教えである
これに対して、父母や祖先を敬う『盂蘭盆経』『父母恩重経』といった偽経をつくったり、農作業仏教・禅宗が出てきたりして、中国が仏教を受容していく過程については、これから読むところ。