”初期仏教”のイメージが変わる(下田正弘先生の講義)
日本という大乗仏教の国に生まれて、仏教に全然リアリティを感じられなかった人が、岩波文庫で初期仏典を読んで、「なんだこれは!全然違うじゃないか!凄くいいことが書いてあって、現代の私に凄く使えるじゃないか!」とショックを受け、「初期仏教はクールで本物、大乗仏教は迷信でニセモノ」という図式を描くのは、仏教ファンの中二病とはいえ、それはそれで現代の仏教ファンの素直な感想だと思う(それが欧米の近代仏教学の枠組み、みたいなことは知らなくても)。
けれど、そうやって「これだけが本物」論を突き詰めていくと、スッタニパータのここだけが本物、みたいに、どんどん仏教観が痩せていって、つまらなくなっていく。
わたくし自身、中二病がまだ治ってはいないので、それにつけるクスリとして、下田正弘先生(東大大学院教授)のお話はとても刺激的であったりする。
朝日カルチャーセンターの下田先生の講義「仏教の源流が示唆するもの」(5月10日)に行ってきた。驚くべきことに、満席でした。
のっけから、下田先生は「みなさんが本を読んだりして知っている(初期)仏教のイメージと違うことを話します」と宣言。スッタニパータやダンマパダなど読むと、俗世を捨てたお釈迦さま&ブラザーズが、林の中でひとり静かに歩き回っている図が浮かぶが、どうも実際の初期仏教はだいぶイメージが違うらしい。それは、文献研究だけではなくて、発掘調査などの考古学的研究が証拠となる。
以下は、後のための個人メモなので、説明不足ですし間違ってても私のせいです。
・古代インドでは土葬が普通だった。また遊行者は、今生の生の痕跡をまったく残さないのが理想だから、土葬でOK。
ところが、お釈迦さまの死を描いたお経「大パーリニッバーナ経」(岩波文庫でいえば『ブッダ最後の旅』)には、お釈迦さまの火葬の仕方がこと細かに書いてある。なんでお経なのに、埋葬の手順をこんなに詳しく書いてあるの?
→ お釈迦さまの舎利(骨)を、何が何でも残したかった。普通に土葬にしたら骨がなくなっちゃう。舎利が欲しい国どうしで戦争まで起きる話が、このお経に書いてある。
・ そして、お釈迦さまの死後100年頃から、その小さな舎利を収めた仏塔(サーンチーの仏塔)が作られ始める。紀元前3世紀頃から紀元後12世紀ぐらいまで、サーンチーの仏塔、僧院が1000年かけて、どんどん増殖して巨大になっていく。
祖父ちゃん、父さんと、数代にわたって、1000年かけて仏教遺跡にかかわり続ける=寄進。設計図があって計画的に造るのではなくて、不統一にどんどん増殖していく。
こういった「継承する行為」そのものが、仏教である。
お釈迦さまが語り、弟子が語り継ぎ、文字にし…という営みがなければ仏教はなかった。いま私たちが仏教徒とか仏教ファンになることもできなかった。
・ 現世の秩序をすべて捨てて、バラバラになった遊行者を、あえてサンガという形でたばねたお釈迦さま。それを継承していった人たち。仏の姿は共同性と共にある。
<発掘でわかった、「僧院・仏塔はどこにあるか」>
・インドの都市を囲った城壁(その中にはバラモン)の外にある。けれど城門の近くにある。
・ 埋葬地の近くにある
(バラモン教では死体は不浄なのでダメ。城外に遺体を運び込んで埋葬する、その近くに僧院・仏塔がある)
・ マーケットの近くにある
当時、交易・商業が盛んになっていて、いろんな人種の人が集まって商取引をした、そのマーケットの近くにある。古代インドは浄・不浄という考えがシビアにあって、モノを通じて不浄が伝染すると考えていた。これじゃあ交易なんてできない。
(商人層が仏教に帰依したというのは、“自由な雰囲気”論かと思っていたら、現実的にオノレの商売上、バラモン教はあり得ないわけですね)
・ 伝統・土着宗教の聖地の近くにある(従前の宗教を否定しない)
といったことから、私が想像するに・・・・
僧院・仏塔の中には僧たちがいる。周りの人が集まって、勝手にどんどん仏塔とかを増築して、壁にいろいろ仏伝だとか土着の神の像とかを彫ったりしている。
近くにはマーケットがあって、賑やかに物を売ったり買ったりしている。肌や髪の色がいろんな人がいて、いろんな言葉が聞こえる。近くには埋葬場もあって、遺体がどんどん運び込まれて埋葬されている。そういうところに、坊さんが出てきて托鉢をしている。
聖と俗、内と外、浄と不浄、異文化・異民族・・・超越的トポスとしての僧院・仏塔。
この猥雑にして豊饒な世界が、いわゆる“初期仏教”の実際なのだという。下田先生いわく、この「人びとが生きるってこういうことだよね」というのが初期仏教の実際の姿であって、それを深めたのが大乗仏教なのだという。
次の下田先生の講義は、「浄土の思想について」(9月13日、朝日カルチャー)。
出たなー、浄土! 中二病からみると妄想度合いが高い「浄土」を、「仏教がかかえる本来の思想を、みごとに凝縮して表現したもの」という下田先生の講義が、今から楽しみです。

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