人はそう簡単に救われない(映画「ザ・マスター」)
『ザ・マスター』という映画を観てきた。
第二次世界大戦のアメリカ。アル中の元水兵・フレディ(ホアキン・フェニックス)と、新興宗教の教祖“マスター”ことランカスター(フィリップ・シーモア・ホフマン)を描いた映画だ。
世界中の名監督たちが最上級の賛辞を贈っているのも、もっともだと思った。特に宗教とか信仰に興味がある人は、観て損はないと思う。
トム・クルーズがハマっていることで有名な新興宗教・サイエントロジーがモデルだという噂がたって、アメリカでは騒ぎになったそうだ。そういえば、以前、サイエントロジーのチラシがうちのポストにも入っていた。「病気が治りました 大阪府・○○さん」みたいなのにまじって、「魂がどうのこうの トム・クルーズさん」「癒しがどうのこうの ジョン・トラボルタさん」と普通に書いてあって笑いました。
この映画を観て、仏教ファンとして思ったこと。
・お釈迦さまも人たらしであっただろう
映画の“マスター”はインチキ教祖だが、独特の人間的魅力がある。成功しているNPOのリーダーなんかもそうだが、単なる善人ではない。人たらしだと思う。
・人はそう簡単には救われない
フレディの魂は最後まで咆哮しっぱなし・・・・・嫌味なぐらいの名演技で、ずっと忘れられない気がする。
・現代に真顔で輪廻を語るとカルト
この映画の新興宗教も輪廻を前提として、あるメソッドによって過去世が見えると説いていた。やっぱり人は生まれ変わりが好きなのね。
・救う人と救われる人は明確ではない
一見フレディがマスター(教祖)に救いを求めているのだが、同時にマスターがフレディにすがっているようでもあり、共依存のようでもあり、愛憎も力関係もスイッチしていく。思えば人間同士の関係は、一方的で固定的なことのほうが少ないとも思う。
仏と弟子は、一方的に仏が偉いとされているけど、お釈迦さま存命中のサンガはそうでもなかったかもしれない。お釈迦さまは、不肖の愛弟子・アーナンダに、時に依存していたかもしれない…というような物語上の役割でアーナンダのキャラクターができあがったのかもしれない。

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第二次世界大戦のアメリカ。アル中の元水兵・フレディ(ホアキン・フェニックス)と、新興宗教の教祖“マスター”ことランカスター(フィリップ・シーモア・ホフマン)を描いた映画だ。
世界中の名監督たちが最上級の賛辞を贈っているのも、もっともだと思った。特に宗教とか信仰に興味がある人は、観て損はないと思う。
トム・クルーズがハマっていることで有名な新興宗教・サイエントロジーがモデルだという噂がたって、アメリカでは騒ぎになったそうだ。そういえば、以前、サイエントロジーのチラシがうちのポストにも入っていた。「病気が治りました 大阪府・○○さん」みたいなのにまじって、「魂がどうのこうの トム・クルーズさん」「癒しがどうのこうの ジョン・トラボルタさん」と普通に書いてあって笑いました。
この映画を観て、仏教ファンとして思ったこと。
・お釈迦さまも人たらしであっただろう
映画の“マスター”はインチキ教祖だが、独特の人間的魅力がある。成功しているNPOのリーダーなんかもそうだが、単なる善人ではない。人たらしだと思う。
・人はそう簡単には救われない
フレディの魂は最後まで咆哮しっぱなし・・・・・嫌味なぐらいの名演技で、ずっと忘れられない気がする。
・現代に真顔で輪廻を語るとカルト
この映画の新興宗教も輪廻を前提として、あるメソッドによって過去世が見えると説いていた。やっぱり人は生まれ変わりが好きなのね。
・救う人と救われる人は明確ではない
一見フレディがマスター(教祖)に救いを求めているのだが、同時にマスターがフレディにすがっているようでもあり、共依存のようでもあり、愛憎も力関係もスイッチしていく。思えば人間同士の関係は、一方的で固定的なことのほうが少ないとも思う。
仏と弟子は、一方的に仏が偉いとされているけど、お釈迦さま存命中のサンガはそうでもなかったかもしれない。お釈迦さまは、不肖の愛弟子・アーナンダに、時に依存していたかもしれない…というような物語上の役割でアーナンダのキャラクターができあがったのかもしれない。

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