仏教的なモノの食い方とはなにか
日々のいちいちを、これはどうすれば仏道的にいいのか、と考えて行うことは楽しい。
『日常生活のなかの禅』(南直哉さん著、講談社選書メチエ)の中に、食事のことが書いてあった。道元さんは顔の洗い方まで書いていて、こんな人が夫だったらめんどくさいだろうなあ、と思うわけだが、食事作法について書いた『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という著書もある。以下は『日常生活のなかの禅』で引用していた部分です。
====================================
受食(じゅじき)の方法は、恭敬(くぎょう)して受けるのである。仏のお言葉には、
恭敬して食を受けよと。まさに学ぶべきである。
仏のお言葉には、まさに傲慢な気持ちで食事をしてはならない。恭敬して頂きなさい。
=====================================
曹洞宗の道場では、食べ物の給仕を受ける節目ごとに「五観」という偈文を読むそうだ。
=====================================
一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
二つには己れの徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず。
三つには心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは、貪等(とんとう)を宗とす。
四つには正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり。
五つには成道のための故に今この食(じき)を受く。
======================================
永平寺ブランドのゴマ豆腐とか、ファッション的に禅寺で精進料理を食べたりとか、そういうことではなくて、殺生はイカンとする仏教で、ではなぜ他の生物を食べて自分が生きていいのか、ということが要諦だ。
以下も南さんが書いていたことの一部(本にはもっと詳しく書いてある)。
1)一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
食べ物の来る来歴、栽培から調理までの労苦をよく考えよ。
2)二つには己れの徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず。
今これを食べようとする自分が、それに値いする行いをしてきたのか考えよ。
3)三つには心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは、貪等(とんとう)を宗とす。
貪・瞋・癡・・・もっと食いたいとか、美味しい・不味いという錯覚に捉われるな。
4)四つには正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり。
食べ物は、修行する身を支える薬だ。
5)五つには成道のための故に今この食(じき)を受く。
食べた自分が仏道を完成させることで、食べられた生き物が我が身もろとも仏に昇華することを誓って食事が許される。
ケンタッキーフライドチキンでも、こういうふうに食べようと決意する。ニワトリさん、ごめんなさい。
食べログとかで、得々と書くのも]どうなんでしょうね。

にほんブログ村