中央アジアのダイナミック仏教が面白い(『新アジア仏教史05』その1) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

中央アジアのダイナミック仏教が面白い(『新アジア仏教史05』その1)


初期仏典こと「阿含経典」を読んで、日本の仏教を振り返ると、そのあまりの違いにびっくりするだろう。日本でお馴染みの、阿弥陀仏や観音さんは、お釈迦さま時代の仏教には出てこないのに、いつどこから出てきたの?



それから、「阿含経典」のあと、大乗仏典たとえば「法華経」を読むと、そのあまりの違いにびっくりするだろう。

初期仏典は、欲望は苦のもとです己を抑制せよと、悪く言えば辛気臭い。それが法華経になると、いろんな貴金属でキンキラキン、数は膨大、なんでもデカくて派手。



この間に仏教に何が起こったのだろう?と不思議ですよね。

その謎を解くキーは「中央アジア」にあり!『新アジア仏教史05 文明・文化の交差点』(佼成出版社)を読み始めてそう思った。



近年、中央アジア(カシミールとかガンダーラとかタクラマカンとか、いわゆるシルクロードとして知られるあたり)の発掘が進んで、とんでもない数の仏教遺跡や、腰が抜けるような写本(樺皮などに阿含や大乗仏典を書いたものとか)がザクザク出てきている。そこからわかる中央アジアの仏教は、めちゃくちゃダイナミックで精力に溢れていて、想像するだに興奮してしまう。


仏教は、インド→中国→日本と伝わってきたわけだが

実際には、インド→中央アジア→中国→日本であって、

この中央アジア時点で、ものすごく変質をした上で、中国・日本に伝わったことがよくわかった。


よく知られているように、このあたりはローマ・ペルシア・インド・中国を結ぶ交易路で、いろんな国の商人が行きかう人種のるつぼ。『新アジア仏教史05』の巻末には、軽く立体的に表された地図があって、それを見ながら読むと、わくわくする。よくもこんな地球のシワみたいにややこしい場所に人が行きかって、仏教が伝わってブレンドされたものだなあ。


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ヒンドゥークシュ山脈。よく仏教はこんなのを越えたいったよ・・・。


以下は、同書1章「インダスを越えて―仏教の中央アジアー」(山田明爾先生)を読んでの、ざっくりしたメモ・・・


遊牧民のクシャーン朝(2世紀頃)のあたり、中央アジアでは仏教が花開いて、ギリシャ神話・キリスト教・ゾロアスター教などがどんどん混じって、その過程で阿弥陀仏とかも着想されたという。



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クシャーン期に花開いた中央アジア仏教は、やがてインド仏教の模倣を脱してそれぞれの風土の中で独自の仏教を作り上げて中国に送り届け、中国側はそれをインド直伝の仏教と理解した。



中央アジアに強く見られる傾向は、思索による教理の展開や、修行による解脱への精進であるより、仏菩薩による直接的な保護や救済への希求であった

         (同書1章「インダス河を超えて」より)

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この当時の中央アジアはいろんな異民族のるつぼで、命懸けで旅をしている商売人だったりする。その人たちに「欲望は苦のもと」とか言っても、ふざけんなという話です。インドの言葉もよくわからないから、称名念仏(ナミアミダブツと言えばOK)というのも中央アジアから出てきた。

というようなことが、同書1章に書いてあって、たいへん面白かった。



功徳があるなら、キリスト教のゴッドでも、アブラマズダでも、シャカでもアミダでもカンノンでもかまわないふうで、

しかも、交易商人は金持ちなんですよね。



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富裕な信者の熱狂的な布施は、在家仏教の大きな特徴の一つである。

「無遮大会」とは、仏教と外教とを問わず、無差別かつ無制限な一大布施大会のことで、国王は妻子も国有財産も布施し、国庫がつきれば我が身をも布施し、家臣たちがそれらを買い戻すことを努めとしたと伝えられる。 (同上)

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そんな「無遮大会」を5年に1度もやっていたんですって。




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