女性の坐禅はノーブラで(『新アジア仏教史04』ぞの3)
『新アジア仏教史04』(佼成出版社)の9章「女性と仏教寺院」(高橋美和先生)を、わたくしもいちおう女であるからして、興味深く読んだ。
いまの上座仏教の国で、実際に仏教を支えてるのは、かなり女性の力が大きいそうだ。
タイやカンジアでお寺に来ている在家信者は女性(中高年)のほうが多いし、お坊さんの托鉢に食物を持って出て来るのは女性だし、息子を一時出家させると母親に功徳がいくということで母が頑張ったり。
ところが、出家して比丘尼になるという段では、端的にいって女性差別は現代も根強いらしい。
お釈迦さま時代から比丘尼はいたけれど、律で「10人以上の同性による受戒」が決められていた。その後、たとえばスリランカでは仏教が衰退して坊さんが減って、比丘尼も10人を切り、受戒する人がいないために11世紀に比丘尼が消滅。
タイでもミャンマーでも比丘尼は消滅してしまった。
近現代になって、比丘尼復興の動きが出てきたが、とってもひどい実例が書いてあって、びっくりした。
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1928年 タイのパーシット姉妹(サーラとチョンディー)
僧侶である父による儀式をへて、姉妹はいったん黄衣の比丘尼になった。けれども、比丘尼による受戒という正式な過程を経ていないために、当時のサンガはこの出家を無効として、すぐに黄衣を脱ぐよう通告した。
最終的には警察によって黄衣を剥奪されたうえ数日間投獄された。父もサンガから追放された。釈放後、サーラの方はさらに茶色い衣の私度比丘尼として2年間の寺院生活を送ったが、一般社会からの支持を得られず結局還俗した。
(同書より、言葉尻は一部てきとう)
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ね、ひどいと思いません?投獄ですってよ。
その語、1980年代半ばに比丘尼復興運動が盛り上がって、
1990年代にスリランカの女性修行者が韓国曹渓宗のサンガから具足戒を受けて比丘尼になったり、台湾+スリランカで受戒したりで、2008年2月までにスリランカでは約600人の比丘尼が生まれているそうだ。
ところがミャンマーでは
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ミャンマーでは、スリランカで比丘尼受戒した修行者ティーラシンが、国家サンガ大長老委員会に対し、ミャンマーで比丘尼の存在を認めるかどうかの決定を求める質問状を送付したところ、従来どおり比丘尼の存在を認めないという回答がなされ、ミャンマー・サンガが比丘復興を支持しないことが公的に明らかにされた。
(同書より)
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あ~あ。
一方で、韓国・台湾では尼僧の数も多くバリバリやっているそうで、この点では大乗仏教国のほうがお釈迦さまの真意(=生まれでなく行い)を汲み取っていたとも言える。
ただ、初期仏典でお釈迦さまが女性の出家をめんどくさがった、と書いてあったり、律が(いまの基準から見れば)明らかに女性差別的なので、そっちが真意だ!という根強い伝統もあるのでしょうけれど。
若かりし頃は、差別っぽいことが頭に来たのだけれど、もうどうでもよくなってきた。
人間を含む動物には、オスとメスで役割に違いがあるのは当然で、どちらが上でも下でもないのは当たり前。ところが面白いことに、人間の世界ではアジア・欧米・アフリカそのほか、いつでもどこでも女性を下と見て何かしら拘束する決まりごとがある。
てことは、人類の社会が(現代基準から見て)女性差別とされるシステムを必要としたということで、その必要性、そのメリットって何なんだろう?
最近、そのメリットが薄れてきて「差別」はダメということになったのでしょうが、どういうメリットがなぜ薄れたんだろう。
ところで、坐禅・瞑想会などに行く女性は、必ずノーブラのほうがいいですよ。
男性僧侶が語るどの本・雑誌にも書いてないけど、ブラジャーは気道を狭めて、坐禅には大変よくないと思います。あと、ジーンズとか緩めのパンツも気が散るので、くるぶしまであるロングスカートが一番いいと思います。ロングスカートなら、脚を組んでも、ガビガビのかかとを隠すことができます。