”お釈迦さまの言葉”はずっと読めなかった(「新アジア仏教史04」その2) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

”お釈迦さまの言葉”はずっと読めなかった(「新アジア仏教史04」その2)

新アジア仏教史04 静と動の仏教 ~スリランカ・東南アジア』(佼成出版社)を読み終わった。

主に上座部仏教の国々に対して、大乗仏教とは違う“本来の”仏教があるというイメージを抱きがちだけれど、実際には精霊信仰や土着の習俗がまじった、それぞれの生きた仏教があることがよくわかった。



そんな中で、いわゆる初期仏典=パーリ三蔵は、どう読まれてきたのだろう? 昨今は日本でも初期仏典を読んでファンになる人が多いわけだが…。

(以下は、同書第1章「東南アジア仏教徒の世界」著:林行夫先生からのメモ)



意外なことに、当の上座仏教国でも、一部の学僧を除けば、ほとんど仏典を読まなかったらしいのだ。僧侶が暗誦した仏典を、師から弟子へ、その一部を信者へと、口頭で伝えるということがつい最近まで続いてきたという。



それもそのはず、各国の民族(国語)文字で翻字されたパーリ三蔵が現われるのは、なんと19世紀以降なんだとか。それ以前は、一般人は読めるものではなかったそうだ。識字率の低さもさることながら、読めない文字ではますます読めるわけない。


BC1 スリランカで古シンハラ語に。

 18世紀タイで古クメール語に

1881年 イギリスで「パーリ文献教会」がローマ字化を開始

1920世紀、現代のタイ語・カンボジア語・シンハリ語などに翻字。ラオスはいまだにラオ語の三蔵がない)


パーリ仏典の一部は、僧を通して口頭で一般人にも伝わっただろうが、あの膨大な内容のほんの一部だっただろう。



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今日でも上座仏教徒は「行い」を重視するがゆえに経典の知識や教義教説をしばしば不問にする。一部の学僧を除いて文字で書かれた教説や思想の系譜を重視しない。三蔵経典は寺院に置かれていても、手にとって頁をくられることがほとんどないのである。                        (同書第1章)

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読めない経典に何の意味があるかというと、「経典やジャータカは、王の庇護を得た学僧や王室の関係者が書写編纂した。経典は、(仏像とともに)王権の正統性を象徴する「神器」であった」(同)



“初期仏典”がざっくりお釈迦さまの言葉だとされるわけだけど、日本の一般人がその中身を知ったのは、20世紀に岩波文庫に入ってからだろう。中国人・日本人が読める漢訳阿含はあったけれど、19世紀まで誰も見向きもしなかった。大乗仏教国とはいえ由々しき事態だ・・・・と思っていたら、

上座仏教の国でも一般信者は経典をあまり知らなかったのか。てことは世界中のほとんどの人がよく知らずに、2300年ぐらい冷凍保存されていたようなものなの?


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