ドキッ!「自分の正当化に仏教を利用する」(新書「目覚める宗教」)
先日ちょっと触れた『目覚める宗教 アメリカに出合った仏教―現代化する仏教の今』(サンガ新書、ケネスタナカ著)を読んでみた。
アメリカが仏教をどう捉えて活用してきたかが、新書1冊にまとまっていて勉強になった。
本筋は同書を読んでほしいが、ピンポイントで、へーっと新鮮だったものをメモしておきます。
◆菩薩道HIP HOP
白人HIP HOP、ビースティ・ボーイズのアダム・ヤウクが
チベット仏教にハマって作詞・作曲した
Bodhisattva Vow(菩薩の請願、1994年)という曲があるそうだ。
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Bodhisattva Vow の歌詞のほんの一部
(第3節)
The Bodhisattva Path Is One Of Power And Strength
A Strength From Within To Go The Length
菩薩道とは、パワーに満ちていて力強いものであり、
持続する内面の力となるのです。
Seeing Others Are As Important As Myself
I Strive For A Happiness Of Mental Wealth
他人は私と同じように大切であると見ることによって、
豊かな精神という幸せを求めます。
(邦訳はケネス・タナカさん)
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私はHIP HOPが苦手なので、Youtubeで聞いても全く有難くなかったが、こんな歌があることを知らなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=64lWVE3Tg2A
◆「蜘蛛の糸」のネタ元
ドイツ生まれでアメリカに渡ったポール・ケーラスが著した『カルマ』(1985年)を、鈴木大拙が和訳し(『因果の小車』1896年)、これをもとに芥川龍之介が書いたのが『蜘蛛の糸』。
なんとネタ元が海外だったとは。
◆ビートニクの仏教文学
60年代・西海岸のカウンター・カルチャー世代に、禅が流行った話は知っていたが、その前の50年代ビートニク世代がそんなに禅に系統したことはあまり知らなかった。
ジャック・ケルアックの小説『ザ・ダルマ・バムズ』(1958年)がビート仏教の草分けでベストセラーとなった(この邦訳『禅ヒッピー』という題が微笑ましい)。『ザ・ダルマ・バムズ』というタイトルで講談社文芸文庫にも入っている。
『ザ・ダルマ・バムズ』の主人公のモデルは詩人のゲイリー・スナイダーで、1956~1968年のほとんどを京都で過ごして禅を研究したそうだ。
当時の文脈からすれば、お釈迦さまはヒッピーと見えなくもない。
生産労働を拒否して、身ひとつで放浪して、サンガというコミューンで心静かに暮らす。たぶんマリファナはやってないよね?
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現在、アメリカの仏教シンパは、瞑想や坐禅といったプラクティス中心の人が多いそうだ。この本を読んでいると、瞑想したい!坐禅組みたい!という気持ちになってくる。
ただ、プラクティスはやっても仏教の教えには興味なし、という傾向もあるそうで、そのことの問題点も同書は指摘している。
人間なんて汚物に満ちた皮袋で、「自分」という意識だって錯覚だ
――という、お釈迦さまのインヒューマンな側面は、アメリカン・スピリットを根底から引っくり返してしまうので、アメリカ人ちょっとこれに耐えられないんじゃないの?とも思うがどうだろう。
ひとつ、ドキッとしたことがあった。
セラピストのジョン・ウェルウッドが指摘する「スピリチュアル・バイパシング」(宗教を理由に自己の問題を避けること)だ。
アメリカでは悩める人が瞑想などに参加して、セラピーで活用されているそうだが、「ウェルウッドによると、彼らはしばしば自分の心的障害を避け、仏教の教えや修行を利用して自分を正当化しようとするという」。
例えば、人との関係をうまく結べなくて孤立している人が、「無執着」という仏教の教えで自分を正当化する。でも本心では人との深い触れあいを求めているので、いくら修行しても満たされない――といった例を、ケネスさんは挙げている。
もしかして私もこのパターン!? よくよく気をつけなければ…。