後期密教のエロス大爆発(新アジア仏教史02)
ご存知のとおり、インドでの仏教は7世紀ごろからヒンズー濃度が高まって「密教」となり、後期密教ではかなり常軌を逸した性的儀礼が行われるようになって、結局、ヒンズー世界の中にメルトダウンしてしまう。
この、800年頃からあとの後期密教のことは、仏教
史などを読んでいても、忘れたい想い出のように駆け
足で触れるだけだったりするが――
『新アジア仏教史02 仏教の形成と展開』(佼成出版社)
の5章「密教の出現と展開」(種村隆元先生)では、
後期密教の性的儀式のことなどが
ばっちり書いてあって凄かった。
後期密教とは、「秘密集会(しゅうえ)タントラ」という隠微な名前の経典から、終末期の総決算的な「カーラチャクラタントラ(時輪タントラ)」あたりのことを指す。
最近の研究では、この時期の密教と、シヴァ教との密接な関係が明らかになってきたという。
たとえばヨーギニータントラの代表的な経典である「ラグサンヴァラタントラ」の3分の1もの詩節が、シヴァ教のいくつかの聖典からの借用であることが、アレクシス・サンダーソン(オックスフォード大学教授)によって指摘されているそうだ。
密教の入門儀礼「灌頂」(頭から水を注ぐ)が複雑化して、後期密教では9つの灌頂がある。同書では、9つの灌頂が説明されているが、これがまた高位の灌頂になればなるほどトンデモない。
たとえば7番目の「秘密灌頂」の手順を引用すると・・
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弟子は幕などで隔てられた人のいない場所で、自分のパートナーとなる女性を師に差し出す。この場合、弟子は師が金剛薩埵(さった)であると強く確信する。
次に師はマンダラの主尊と一体となり、弟子の差し出した女性の姿が空であると瞑想し、交接を行う。そして心臓から放射される光線により導かれてきた、ローチャナなどの女尊と交接している毘盧遮那仏などの如来を口から自分の身体に入れ、大貪欲により液体となり、身体の外に出て行くと観想する。
このようにして放出した精液を自分の菩提心と不可分であると強く確信し、目隠しをした弟子の口の中にその「菩提心」を落とす。弟子は毘盧遮那を初めとしたすべての如来が集まったものだと観想してそれを飲む。
そして、女性パートナー(般若)は服を脱ぎ、自らの蓮華(=性器)から滴を弟子の口に落とし、弟子はそれを飲む。
これが秘密灌頂である。
(同書より)
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師の精液を、如来だ如来だ~と思って、飲むんですってよ。
ここまでくると、やっぱり仏教とは別の宗教としか思えない。というか正気の沙汰とは思えない。
そんなこんなの儀礼のあと、弟子は入門のしるしとして、頭蓋骨で作った環や、人間の死体から調達した腸や髪の毛で作った聖紐などを与えられる。
チベットで信仰される
カーラチャクラ父母仏立像。和合中
なぜに仏教は最終段階で、エロス大爆発になってしまったのか?
密教は、長い修行をしなくても、自分の心を知って
大日如来と一つになれば瞬時に成仏できるので大変
結構なことだが、一方で修行の実感はない。
「その実感の強度を求めて、当時のインド社会の底辺で行われていたタントリズムの性的な儀礼へと急速に傾いていった」。
というようなことを、同書で津田眞一先生が書いていた。
ただし、仏教として性的儀式はいかがなものか、ということで、今のチベット密教では性的なことはやらないそうだ。

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