最初の最初のお経が身にしみる
仏教にはとんでもない量のお経があるけれど、一番最初のお経はどれか。
もちろん『阿含経』が古くて、なかでも『スッタニパータ』が古くて、そのなかでも第4章と第5章が最初……なのだそうだ。『新アジア仏教史02』2章(並川孝儀先生)には根拠がいろいろ書いてあったけれど省略。学会で異論があるのかどうかは、わからない。
初心にもどるべく、
岩波文庫の『ブッダのことば』(=スッタニパータ)の
第4章「八つの詩句の章」(=アッタカヴァッガ)、
第5章「彼岸に至る道の章」(=パーラヤナヴァッガ)を読み直した。
最最初期のお経が文庫で誰でも読めるとはなんと幸せなんでしょう。
しかしまあ何度読んでも素晴らし過ぎますね。
今の自分にグサリとくる言葉が必ず見つかるもの。
ギスギスした俗世にあって、これが何の役に立つかとか、自分はあの人には負けてるがあの人よりマシだとか、あと何年仕事にありつけるだろうとか考えて、人間が限りなくセコくなっていく、そんな今夜の私を見透かしたようなお釈迦さまの言葉。
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第4章の10「死ぬよりも前に」より。
かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、あとで後悔するような悪い行いをなさず、よく思慮して語り、そわそわすることなく、ことばを慎む。(850)
未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂えることもない。(現在)感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われることがない。(851)
利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても怒ることがない。妄執のために他人に逆らうことがなく、美味に耽溺することもない。(854)
平静であって、常によく気をつけていて、世間において(他人と自分と)等しいと思わない。また自分が勝れているとも思わないし、また劣っているとも思わない。かれには煩悩の燃え盛ることがない(855)
岩波文庫『ブッダのことば』 中村元訳
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近年、初期経典のパーリ註釈文献の研究が進んでいるそうで、この『スッタニパータ』の註釈文献『パラマッタ・ジョーティカー』の、なんと全訳が1980年代後半に、新装版が2009年に出版されている。付篇も入れるとなんと6巻もある。キリがないなあ・・・。