<仏教>の誕生は1820年代!(『新アジア仏教史02』)
<仏教>Buddhismという言葉を、いつ誰が使い始めたのか?
驚いた。ヨーロッパ人(一説にはフランス人)が1820年代にはじめて命名したという。
しかも、その<仏教>の中心にお釈迦さまがいる、ということも、つい200年前まで全然当たり前のことじゃなかったというのだ。
『新アジア仏教史02 仏教の形成と展開』第1章「近代仏教学の形成と展開」(著:下田正弘先生)にその経緯が書いてあって、激しくエキサイティングだった(青字は同書からの引用)。
“初期仏教”の研究は19世紀ヨーロッパで始まった、ということは聞いていたけれど、<仏教>という概念そのものが、そのとき登場したとはびっくりした(仏教業界の人なら知ってるのかもしれないけど)。
チベットやスリランカや中国や日本は、長い間それぞれに信仰していたものを、自分たちで「仏教」という一つの概念で捉えたことはなかったのだそうだ。言われてみれば――お釈迦様の呼び名が各地で違ったり、阿弥陀や観音を信じてたり、護摩を炊いてたり、公案やってたり、バラバラなそれらが「同じ宗教だ」と、当人たちは気づかないかもしれない。
ヨーロッパ人もなかなか気づかなかった。
仏教らしきものを最初に記述したのは、マルコ・ポーロ(1254~1324年)だという。敦煌で出会った中国人仏教徒の様子や、スリランカにおけるブッダ理解(王子が老人や死者と出合って出家して云々)を記述しているのが、最も早いそうだ。
「宣教師や商人、のちには植民省の高官としてチベット、タイ、ビルマ、スリランカ、日本にまで赴いたヨーロッパ人たちは、赴任の地においてさまざまな形態をした宗教に遭遇した。それにもかかわらず、アジアに散在するこの宗教を同じカテゴリーで認識しようとするものは容易に現われなかった」
しかも、その中心に「インド」の「お釈迦さま」を据えようとは、思いもよらなかったという。なぜなら、当時のインドではもう仏教は廃れていたから。
17~18世紀にチベットやスリランカに入ったキリスト教の宣教師たちが、その地で信じられている宗教(=仏教)の情報を収集しはじめ、1820年代前後に「仏教」という言葉が誕生する。
けれども、捉え難い仏教について、トンデモ説がいろいろ浮上したそうだ。
「17世紀から19世紀のヨーロッパにおいて、ときに仏教が北欧神話伝説と結びついてキリスト教伝播以前のヨーロッパ古代宗教と考えられ、ときにはるか過去に袂を分かって東洋までさまよい出たキリスト教徒のなれの果てとみなされ、あるいはバラモン教よりも古い時代のインド原始仏教として想定され、さらに起源の釈迦という歴史的人物にまで至りつきながらもこの開祖がエチオピア人であるとみなされた(以下略)」
お釈迦さまがエチオピア人!?
「その中心に歴史的人物としてのブッダが立てられたとき、だが、この多年にわたる謎は氷解」して、西洋人はそれまで観察してきた一連の現象に「<仏教>Buddhismという呼び名を与えた。ここに<仏教>は誕生した」
誰が<仏教>と言い始めたのかについて、ロジェ=ポル・ドロワ(フランスの仏教研究者)によると、「<仏教>Buddhismという言葉の創始者はミシェル=ジャン=フランソワ・オズレーである。1817年に出版されたわずか100ページに満たない小冊子『東方アジアの宗教の開祖ビュッドゥあるいはブッドュにかんする研究』に、この<仏教>は登場する」
そして、
「仏教」という言葉が誕生じてまもなく、まだ文献学的研究がほとんど皆無だった1820年代に、ウジェーヌ・ビュルヌフ(フランス、1801~52)が『インド仏教史序説』(1844年)で初めて仏教の全貌を描く。(近代仏教学の父、と呼ばれる)。
つまり、私たちが持っている「仏教」の常識や、お釈迦様のイメージは、近代ヨーロッパ人の眼を通して構築されたものだった、とも言える。
そのことが、例えば現在もよく言われるセリフ――「今ある仏教は、本来の仏教と違う、堕落している」――という捉え方にも繋がっているという。
(続きは後日)

にほんブログ村