密教のヤンキーっぽさについて
昨日、「ブッダのボディガードだった執金剛が、大日経では準主役に躍り出た」ということを書いた。執金剛は武器を持った武闘派ボディガードだ。なぜ彼は大出世したのか?
如来や菩薩は、裕福な商人階級とかインテリっぽい人が信仰していたのが、密教でニューキャラクターとして登場した執金剛は、それまでと違う非インテリ層が信仰していたのでは・・・と南直哉さんは言っていた。
それで、密教の専門家である田中公明先生が書いた『新アジア仏教史03 仏典からみた仏教世界』7章「儀礼、象徴、テキスト」を読み直したら、おもしろいことが書いてあった。
大日経以前の初期密教時代に、信徒の3つの願望に対応する儀式があって、それぞれ仏・菩薩・金剛手が効験あり、とされていたという。
==============================
1)息災(シャーンタ。自然災害や疫病・飢饉の除去など国家や家庭の安泰を祈る)
・・・・仏部が効験あり
2)増益(パウシュティカ。五穀豊穣や商売繁盛)
・・・・蓮華部(菩薩)が効験あり
3)調伏(アビチャーラカ。仏教の敵対者を折伏する。実際には教団や信徒の敵を呪う)
・・・・・金剛部(金剛手)が効験あり
===============================
想像するに、信徒さんたちから「あいつを呪い殺したい」などの要望が出るのは自然なことだ。それを如来や菩薩に頼むのは変だけれど、武闘派の執金剛ならイメージぴったり。
当時、商人・インテリ階級が没落してきて、気が付けば土着的レッドネックにはヒンドゥー教ががっちり食い込んでいる。仏教もそういう人を取り込まねば、というなかで、執金剛がフューチャーされるのはわかる気がする。
私の独断なのだけれど、
密教ってどことなくヤンキーっぽいじゃないですか。
密教独自の「不動明王」にしても、
金剛=ヴァジュラvajra=伐折羅(バサラ)大将にしても。
密教法具はクロムハーツぽいし、マントラは「夜露死苦」っぽい。
それまでの仏教がスガシカオ止まりだとしたら、密教はEXILEまで取り込んだ、とでも言いましょうか。
香川県丸亀市の「婆娑羅まつり」
これはケナしているわけではなくて、
現代でもヤンキーに愛されないと、広く普及はできないわけで、
密教がチベット・ネパール・日本などで現代まで生きのびているのは
そのへんが勝因だったのかな、という気もする。