淫を犯さないよう自ら男根を切り落とす。痛!(「大唐西域記」)
『大唐西域記』がやっと半分読めた。
後ろの地図と照らし合わせて、お釈迦さま活動エリアにだんだん近づいて行くさまにドキドキする。
今ちょうどお釈迦さまのいた土地のあたりだが、仏典に出てくる地名が、たくさんの伽藍が崩れ落ちて住人もわずかだったりして、切ない。
各地に伝わる話は、『世界ふしぎ発見』や『どうぶつ奇想天外』みたいだ。
ウサギが「僕を食べてください」といって火に飛び込んだ有名な話や、象が恩返しに仏の歯牙を持ってきた話など、世界は不思議に満ちている。
笑ったのは、1巻に出て来る王の弟の話。弟は淫を犯さないことを証明すべく、王に金の箱を渡し、中には切り落とした男根が入っていた(もらった王は迷惑だ)。後にこの弟は牛の去勢を見て、自分と同じだと不憫に思い、牛を買い取ったら、その功徳で男根が生えてきたという。
ここで火に飛び込んだウサギは前世のお釈迦さまだった、というふうに、各地に本生譚(お釈迦さまの前世物語)が伝わっている。それを集めたのが「ジャータカ」で、要はいろんな土地(本生地)の“ご当地お釈迦さま自慢”なのだとよくわかった。
お釈迦さまが実際に歩いた地はわずかなので、広大な仏教信奉エリアでは、「この地もお釈迦さまとゆかりがある」と思いたかったのだろう。前世の話なら、作り放題だ。と想像するが、どうなのだろうか。
ジャータカでは、お釈迦さまは長い長い前世に、いろんな動物として輪廻しながら修行をしてきたことになっている。でも、ウサギが坐禅を組むのも変だし、修行の方法は人のために尽くす「利他行」となる。しかも火に飛び込むような過激な自己犠牲だ。
最初、初期仏典を読んだときに、「衆生を救う」といった慈悲くさい言葉が少なくて、驚いた。もちろん衆生のために道を説くのだけれど、ことさらに利他利他と言いはしない。
それが、なぜ大乗では慈悲利他が全開になったかと言えば、仏滅後に各地でできた本生譚の影響なのだ――と、どこかで読んだ覚えがある。
もっと前のインド紀行としては、法顕(337~422年)が4世紀にインドなどに行った『法顕伝』がある。東洋文庫から現代語訳が出ているけれど・・・根性があればいつか読んでみよう。

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