「諸行無常」の「諸行」とは何か
東大・東洋文化研究所の馬場紀寿准教授の「仏教の誕生 ブッダの言葉を解読する」という講義を聞いてきた。面白かったー。お釈迦さまのイメージがちょっと変わった。
勝手にあんまり書くと何なので、ほんの少しだけメモ。青字が講義メモからだけれど、間違いがあったら私のせいです。
(※パーリ語やサンスクリット語の記号が面倒なので、アルファベットで)
「法」「諸行無常」「涅槃」といった言葉は、仏教(仏典)だけ見てたらわからない、という。仏教以前にすでにあった言葉やエピソードを、お釈迦さまは、揶揄したり解釈を変えたり逆転させたりしているから。
■ 「諸行無常」の「諸行」とは何か
日本だと、桜が散るのを見て「諸行無常だなあ」というふうに、諸行=すべての事象、のように捉えられていると思う。でも、もともとの意味は違ったようだ。
諸行=Saṃskārah(サンスカーラ)とかsamskrti(サンスクリティ)という言葉は、もともとあって仏教以前に定着していた。atmasamskrti(アートマサンクリティ)は、自分(アートマ)を作り上げる(サンスクリティ)こと。
<仏教以前>
ヴェーダではsamskrti=祭祀で供物をして天で生を受けることを意味する。供物によって死後の世界を自分で作り上げる。生前で言えば、一人前になる→家長の務めを果たす→老後の準備→引退・・と、次の段階に投資をして自分を作っていく、という意味にもなる。
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<仏教では>
samskrti=作り上げられたものは、必ず滅び、苦である。苦のニュアンスは、「思い通りにならない」。そして、それは本当の自分ではない。例えば、どんなに体を鍛えても、病になるし、死には逆らえない。
ということは、atmasamskrtiって今で言えば、自己啓発本のような話なの? 「ビジネススクールに300万払ってグローバル人材になって老後は金持ち父さん」みたいな。
ところがお釈迦さまは、「あのね、皆さん。そんなの思い通りになりませんよ」と言い放った。
ある種の人たちからすれば、「よくぞ言ってくれました!」というわけで、ワッと拍手が起きたかもしれない。
■ 「涅槃」「貪・瞋・癡」
「涅槃」は「火を吹き消すこと」。それ以前は、火の祭祀が中心で、人々は火を通じて神々に供物を捧げた。
ところがお釈迦さまは、「火」を欲望のメタファーとして使い、「火を吹き消せ」と言う。
また、「3つの火=貪・瞋・癡」という喩えは、ヴェーダで3つの祭壇を作って火を焚くのを、揶揄しているのだという。
聴衆は当然、「ああ、3つの祭壇をおちょくってるのね」とわかるから、「うまいこと言うねえ」と感心しただろう。
「創世神話」についても、バラモンが言ってるのを逆転したような話だから、「聴衆はゲラゲラ笑って聴いていたんじゃないか」と馬場先生は言う。
そりゃそうだよね。バラモンは、なぜか威張っている“権威”。みんなが知ってる権威の言動を、揶揄したり逆手に取るのは、レニー・ブルースとかモンティ・パイソンの路線だ。
モンティ・パイソンの「リビング・オブ・ライアン」では、
最後、磔された人がみんなで歌い出す
もしかすると、お釈迦さまは「やたら話の面白い毒舌なニィちゃんがいる」ということで、まず人気が出たのかもしれない。

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