“低カースト”のブルース
『新アジア仏教史 01 仏教出現の背景』のメモの続き。
この本は、儀礼や祭式の具体的な中身がいろいろ書いてあって面白い。従来、仏教研究は教理・思想研究が中心で、それっていかがなものか?ということで編まれたシリーズなので、儀礼や文学など、ほかの本であまり出てこないテーマがあって刺激的だ。
第4章「儀礼と文化の変遷」(by永ノ尾信悟先生)は凄かった。著者は現在、東大東洋文化研究所教授とのことだが、若い頃からインドの村に住み込んだりして儀礼のフィールドワークをしていたらしい。著者が撮った儀礼の写真もたくさん載っている。
これを読むと、仏教誕生以前のヴェーダ時代から、現代に至るまで、インドはもう儀礼まみれだ。ムガル帝国のアクバル皇帝(16世紀)時代に作られた『アクバル法典』には45の年中儀礼が記されていて、そのほぼすべてがインド各地で現代も行われているという(大都市は変わってきているかもしれないが)。45といったら、ほとんど毎週だ。また家庭では、アグニホートラ(日の出と日の入りにミルクを祭火に献じる)などの毎日の儀礼がある。
子孫と家畜の繁殖を願ったり、長寿を願ったり、太陽に礼拝したり・・。
お釈迦さまは「人生は苦しいから、もう2度と生まれませんように」と考えたが、インドの大多数の人はそんなふうに考えていなかった、それが現代にまで続く儀礼の世界だ――と著者が冒頭で書いているのは、その通りなんだろうなあ、と思えてくる。
しかし、著者は「学生時代からヴェーダ祭式に興味を持ち」と書いているが、ふつう女の尻を追っかけ回す若者時代にどうやったらヴェーダ祭式に興味を持つのか見当もつかないな。
著者の研究で、一番凄いと思ったのは、低カーストの人たちの歌の収集だ。
インドの村に滞在しているとき、「ドゥサードという低カーストの村人が、彼らの神である王サルヘーシュの祭礼のための歌を練習している」のを耳にしたことから、著者はさまざまな低カーストの人の歌を録音し、テープ起こしをし、読んで、分析する。
その地方で彼らが使うミティラー語を学ぶため、ドゥサードの老人の話を録音して、友人にノートに書き写してもらう。
壺つくりのカーストとか、駕籠かきのカーストとか、それぞれに信仰する神や祭式歌も違うようだ。
しかも、当のインド人も興味を持ってなくて、低カーストの歌を録音しに来た、と言うと、インド知識人階級には「何にもならない」「彼らの文化には見るものなどない」と言われたという。同じ村で、毎年聴いていながら、誰も歌の中身を理解しようとしなかったという。
最後に、著者が一番好きだという、タトマーというカーストの女性が池に入って日の出を待ちながら歌う歌の歌詞が書いてある。
全文は本書を読んでほしいが、感動的だ。2行だけ書くと、
「金の舟、みじめなものよ、銀の櫂、
箕の積荷で、みじめなものよ、舟はゆく」
アメリカにアラン・ローマックスという人がいて、1930代から各地を回って、黒人の農民や囚人の歌を録音収集した。それが「ブルース」と呼ばれるのだが、この人がいなければ少なくともローリング・ストーンズは多分いなかった。
永ノ尾先生、インド版アラン・ローマックスみたい。
お金になりそうもない度ではローマックスよりずっと上だ。かっこいい。