血でも臓器でも!自己犠牲やりすぎ菩薩(八千頌般若経) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

血でも臓器でも!自己犠牲やりすぎ菩薩(八千頌般若経)

『八千頌(じゅ)般若経』(大乗仏典3 中公文庫、梶山雄一訳)
の2分冊目を読み終わった。

だんだん飽きてくるけれど、最後に、強烈な話が登場する。
サダープラルディタ(常啼/じょうたい)菩薩大士の、
ほとんどマゾじゃないかという自己犠牲の物語だ。

(以下は、同書の要約+わたしの感想)


悩み多きサダープラルディタ菩薩大士に、如来がこう言う。
ガンダヴァーティーという都市があり、
そこにダルモードガタ菩薩大士という菩薩がいるから、
教えを請いに行きなさい、と。


この都市が、七宝でできた極楽浄土のようなところで、
ダルモードガタ菩薩大士が、大富豪。
豪邸で6万8000人(!)の女をはべらせて遊び楽しみ、
1日3回、般若波羅蜜の講義をするという、
菩薩だかなんだかわからない豪奢な暮らしをしている。


サダープラルディタ菩薩大士はダルモードガタ菩薩大士の
説法を聞いて感激し、訪問しようと思ったが、
手ぶらじゃ何だな、ということで供養の品を思案する。
ところが、サダープラルディタ菩薩大士は貧しく、
思いついたのが
この身体を売って、その代金で敬意をあらわしたらどうか」。


そして、市場で繰り返し大声で叫んだのである。
「どなたか人間を買いたいかたはいませんか」。


相手は大富豪なんだから、そこまでしなくていいじゃない!


買い手が見つからずに隅っこで泣いていると、
シャクラ(帝釈天)が若者に姿を変えてやってきて、こう申し出る。
「祖先へのいけにえとして、人間の心臓、血液、骨、髄がほしいんだけど」。

うわあ臓器売買だ。


サダープラルディタ菩薩大士は、断るどころか歓喜して、
刃物を自らの腕に刺して血をほとぼらせ、
太ももの肉をそいだのち、骨を断ち切るために
壁の土台に近づいたのである。(でもシャクラが彼の身体をもとどおりにする)


それを見ていた豪商の娘が感動して、
サダープラルディタ菩薩大士を家に連れて行き、
両親に話すと、これまた感動して「仲間に入れておくれ」と言う。
そこで、500台の車を準備させて500人の娘を分乗させ、
宝石やら食料やら量りしれぬ供養の品を積んで、
きらびやかな隊列を組んでダルモードガタ菩薩大士のもとに
向かったのであった。


到着すると、ダルモードガタ菩薩大士は、
七宝でとんでもなくゴージャスな楼閣を造営させたところだった。
その楼閣に安置されているのは、
溶かした猫目石で黄金の板に書写された般若経。
(仏舎利信仰から経典信仰へ、と言われる通りですね)


そのあと、ダルモードガタ菩薩大士は7年間も三昧に入った。


三昧から戻る菩薩大士のために席をしつらえていた
サダープラルディタ菩薩大士は、あたりに立ち込めている塵埃が、
「ダルモードガタ菩薩大士の身に振りかかるようなことが

あってはならない」と考える。
ところが、水を撒きたくても水が見つからない。


そこでサダープラルディタ菩薩大士は考えた。
私は自分の体を傷つけて、この地面に血を撒いたらどうだろう」。

またそれですか!


そして、サダープラルディタ菩薩大士と、500人の娘たちもすべて、
刃物を手に取り、おのおの自分の体に突き刺し、
地面に各自の血液をまんべんなく撒いた


・・・映画化したらすごいことになりそう。


この手のエキセントリックな自己犠牲は、阿含経典には出てこない。
やはり、ジャータカが広まって、
自分を供物にするために火に飛び込んだウサギ、
のような説話の影響を受けているわけでしょうか。
やりすぎだって。





にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村