玄奘が見たハデハデの仏像パレード(「シリーズ大乗仏典3」5章) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

玄奘が見たハデハデの仏像パレード(「シリーズ大乗仏典3」5章)

シリーズ大乗仏教3 大乗仏教の実践』のメモの続き。
第5章 仏塔から仏像へ」(島田明著)では、
舎利→舎利を内蔵した仏塔→舎利を内蔵した仏像→お経を
内蔵した仏像が、仏そのものだとして信仰される経緯が書かれていた。


今の日本のお寺だと、いい仏像は奥深く薄暗いところにあって
よく見えないことも多く、合掌したあとはどうしていいかわからずに
よく言えば有難く、悪く言えば辛気臭い状況だったりする。


ところが、昔のインドでは「行像」という、
はっちゃけた形で仏像と接していたそうなのだ。
像などに仏像を乗せて練り歩いてお祭り騒ぎをするもので、
中国の僧・法顕(4-5世紀)や玄奘(7世紀)がインドに行って
この仏像儀礼を見た記録が残っている。


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法顕がパータリプトラで見た行像は、仏塔を模した20基ほどの山車と共に
仏(仏像)が都城内外を巡ったというもので、
人々は美しく飾られた塔や仏像に音楽と踊りを奉納し、香華を捧げたという。
(同書より)

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玄奘が見たという、ハルシャヴァルダナ王(戒日王)がカナウジで
主催した行像はさらに大規模なものだったという。
その様子が、『大唐西域記』に書いてあるそうだが、
それはそれは大変な騒ぎだったようだ。


王が行宮から、高さ三尺余り(約1m)の金像を引き出し、
象に乗せて立派な布をはりめぐらす。
戒日王は帝釈天のコスプレ、拘摩羅王は梵天のコスプレ。
それぞれ500の象群が鎧をつけ、仏像の前後を取り巻き護衛する。
それそれ100の象には楽人が乗って音楽をかき鳴らし、
戒日王は真珠・とりどりの宝や金銀で作った花を四方に撒き、
宝壇にのぼって香水を仏像に注ぐ。
そのあと、異学の人を集めて、教義の微意を論定し妙理を宣揚し・・云々。
(水谷真成訳が引用されていたのをアレンジ)


この現代語訳『大唐西域記』(東洋文庫、水谷真成訳)は
かなり面白そうなので、近いうちに読んでみようと思う。


今でも行像をやっているのかしらと調べてみたら、
タイのチェンマイなど、いくつかの都市でやっているらしい。

各寺の本尊を山車に乗せて歩く「仏像パレード」で、
敬虔な気持ちになるというより普通に楽しそうだ。

こういうの、日本でもやってほしいなー。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


写真はこちらの旅行サイトから借用しました。
お祭りの一部始終が写真で紹介されてます。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/thailand/the_other_cities_of_thailand/travelogue/10583305/



日本ではあるのか調べてみたら、練供養というのが出てきた。
(タイと同じようなのがあるのかは不明)
奈良・當麻寺の練供養が有名らしく、これはすごい。
人が仏像に扮する、仏像コスプレ祭りだ。
ほとんど、ゆるキャラ「せんとくん」だ。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

私は知らなかったが仏教界や奈良では有名なのだろう。



お釈迦さまは、比丘たちがちょっとムダ話をしているだけで、
あーうるさい、といってどこかに行っちゃう人だったから、
行像や練供養を見たら泡を吹いて倒れるかもしれない。


話は変わるが、仏舎利信仰。
お釈迦さまの本当の骨が、何百年後にあちこちにあるとも思えない。
仏舎利だと言い伝えられた骨も、もとを辿れば、
誰かがどこかの時点で、何かの骨をピックアップしたのだろうか?
そのへんに落ちている人骨、もしかして動物の骨を
比丘がこっそり持ち帰ったりしたのだろうか?



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