【大乗仏教誕生の謎】下田正弘先生の文章に興奮 | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

【大乗仏教誕生の謎】下田正弘先生の文章に興奮

『シリーズ大乗仏教』(春秋社)の第2巻、『大乗仏教の誕生』を読み始めた。
1巻目も含め、どの章もみんな面白いのだけれど、さっき読んだ
2巻・第2章「経典を創出する―大乗世界の出現」(by下田正弘先生)が
わかりやすく、説として納得がいって興奮した。

「いわゆる”大乗仏教”って誰が言い出したの?」と疑問な人は、
この章を読むと、大筋の流れがわかると思う。

その流れをメモしようと思ったが、なんだかもう
イチから書くのが面倒くさくなってきた。


ものすごく乱暴に書くと

お釈迦さまの死後500年ぐらいたった紀元前後から、
般若系を皮切りに、浄土系・法華系と、とんでもない分量の
大乗仏典が次々に作られる。
しかも内容は、伝統仏教の仏弟子をボロカスに言ったりしている。


ところが、その500年後(AD5~6世紀)まで、
出土品の碑文・銘文等の考古学資料で、大乗仏教にまつわるものが
まるっきり出てこない。
つまり、大乗仏典はあるのに、大乗教団の歴史的実態は存在しない。


どうやら、大乗仏教は500年間ぐらい「経典制作運動」として
テキストの中だけに存在したらしい。


しかもその作者は、伝統仏教教団の中にいた経師たちで、
粛々と新しい経典を書いていたのではないか。
大乗に対する在家の熱い支持とかも、なかったらしい
(在家が寄進したとかいう碑文も残っていない)。


まず文字にした大乗仏典があって、500年ぐらい経ってから、
教団ができたのではないか、
つまり仏典が教団をつくったのではないか。
(しかもインドより先に中国でできた)


伝統的な仏教教団の僧たちから、大乗仏教が生まれてきた、
というのは、ほぼ定説化しているようだ。
しかも下田説だと、空間的にも別の場所でなく、伝統仏教の僧院内で。


では新創作の大乗仏典がインチキかというと、

”初期仏典”だって後で修正・編纂を重ねているし、

律だって後世のどうでもいい瑣末な話にお釈迦様を引っ張り出しているし、

”真の仏説”を追求して仏典を創作してなにが悪い?


というような話が、非常にわかりやすく展開されているので、

ぜひ同書を読んでみてください。


しかし伝統教団のなかにあって
全く違う経典を書いていた現場ってのは、どんな感じなんですかね?

こっそり書いていたのか、または喧々諤々の議論になったのか、
またはクリエーターとして「またあいつらが面白い経を書いたぜ。
でもアミダってけっこうウケるかもな」みたいに生暖かく見守られていたのか。
その現場を想像すると、ワクワクします。


しかし、グレゴリー・ショペンさんの文章を、大々的に邦訳してもらえんだろうか。

『大乗仏教興起時代』もめちゃめちゃ面白かったが、そのほかのやつも。

春秋社さん、おねがい!



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大乗仏教の誕生 (シリーズ大乗仏教)



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