仏の母は立って産むそうだ(長部14経「大本経」) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

仏の母は立って産むそうだ(長部14経「大本経」)

『原始仏典 長部経典Ⅱ』、第14経「大本経」(大アバダーナ経 
偉大な過去世の物語)の再読メモです。

大本経は漢訳「長阿含」では第一経になっています。
(いうまでもなく、明治時代の新興教団・大本教とは
1ミリも関係ありません)


過去7仏、如来の三十二相、誕生~成道~梵天勧請の仏伝
(最初の仏・ヴィパッシンの仏伝という形)、縁起など、
いろんなことが網羅されていて、読み得感のあるお経です。


御曹司のお釈迦さまが、城の門の外で老人を見かけて、
病人を見かけて・・・といういわゆる四門出遊から、
梵天に説得されて布教を始めるといった
釈尊物語はいろんなお経にちりばめられてますが、
それが初代過去仏・ヴィパッシンの物語としてまとまってます。

釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
エローラの過去7仏。みんな同じ・・・。



解説によると、もともとこのお経の原形は、
「おそらく戒本(波羅提木叉=はらだいもくしゃ)の制定
というブッダの行為についての由来・因縁を説明するための
過去世物語」が中核だったのでは、とのことです。


======================

(最初の仏・ヴィパッシンが)
比丘たちに次のように戒本を誦した。


最高の苦行は耐えること(忍徳)であり、
がまんすることである
ニルヴァーナは最高の[理想]である、
[そう]仏たちは説く

他者を害する者は出家者でなく
他者を悩ます者は道の人(沙門)ではない


いかなる悪もなさないこと、
善を獲得成就すること
みずからの心を清めること――
これが仏たちの教えである


罵らないこと、害さないこと、
戒本にもとづき抑制をなすこと
食事において適量を知ること、
淋しい場所で坐臥すること
心に関して修練すること――
これが仏たちの教えである


『原始仏典 長部経典Ⅱ』(春秋社、岡野潔訳)

=======================


「いかなる悪も~」の段落は、七仏通戒偈=
お釈迦さま+過去6人の仏が説いた仏教の真髄、
ということになっている有名なフレーズです。


お釈迦さまが現代人だったら「俺が初めて考案したんだ」
と自己PRそうなものですが、過去に6人も仏がいて
似たようなこと言ってたという設定は、やたら謙虚ですよねぇ。


本当に歴史的にいたの?と一瞬思いますが、
初代ヴィパッシン仏は91劫前にいて、8万歳まで生きた
・・・というから、やっぱり創作みたいですね。
バラモン教にも「古仙人」「7仙人」という言葉があるそうで、
その古代インド的発想が仏教に反映されたのでしょうか?
三十二相(仏の身体的特徴)も7仏共通らしので、
8仏目を自称する大川隆法総裁も

男性器が体内にめりこんでるのでしょうか?


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
過去7仏+一般的に8代目の弥勒。


あと、過去7仏はみんな普通に母親から生まれたのですが、
お母さんは寝たり座ったりする姿勢ではなくて、
「立った姿勢で求道者を産む」のが共通点だと書いてありました。
子供を将来如来にしたいお母さんは、立って産むといいと思います。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村