一族虐殺を傍観していたお釈迦さまの胸のうち(武者小路実篤の戯曲)
釈迦族滅亡のときを描いた武者小路実篤の戯曲、
「わしも知らない」を読んでみました。
(『わしも知らない 他十篇』岩波文庫、初版1953年。
版元品切れらしく古本で買った)
武者小路なんて読むのは高校の頃以来だけれど、
「わしも知らない」は壮絶だった。
釈迦族はコーサラ国の琉璃王(瑠璃王、ヴィドゥーダバ)に
皆殺しにされて滅亡した、とされています。
殺害計画をもはや止めようがないと知った、
目蓮とお釈迦さまの会話で、戯曲は始まります。(青字は引用)
目蓮「あなたはどうなさる御つもりです。」
釈迦「わしは黙って見ている心算(こころづもり)だ。
それより他にわしには許されていない。」
食い下がる目蓮に対して、最後まで
「仕方ない。見ているしかないのだ」と答えるお釈迦さま。
しかもこの戯曲では、子供たちを殺すやり方が、
ナチスでもそこまでやんないよ、という残虐さなのです。
虐殺をただ見ていたお釈迦さまの胸の内はどうであったのか?
それは、「わしも知らない」を読んでみてください。
お釈迦さまの腹の括り方の苛烈さがビシビシと伝わってきます。
『釈迦』(釈尊伝)も書いていて仏教に造詣が深い
武者小路実篤だけあって、同書には他にも仏教をテーマにした
戯曲が収められています。
すごく愉快なのが「仏陀と孫悟空」。
戒を説く仏陀と、それに反発する自由人(?)の孫悟空が、
「お前は馬鹿だ」「お前こそ馬鹿だ」と言い合うのです。
孫悟空
「仏陀の奴の生意気なのには驚いたな。(中略)
あいつは何でも事なかれ主義で、悪いことをしてはいけない。
喧嘩をしてはいけない。戦争してはいけない。
人を殺してはいけない。怒ってもいけない。
嘘を云ってもいけない、と云っている。
あいつの云うとおりにしたら、生きているのか死んでいるのか
わからなくなってしまう。誰があいつの弟子になるものか」
ここで私は噴き出しましたね。ある面、言い得て妙だな~孫悟空。
他にも、一休と白隠と澤庵が、女とのイザコザ話をしたり
へっぽこ踊りをして「俺たち三馬鹿だね。あははは」と大笑いする
戯曲「三和尚」もたいへん愉快でした。
1つの戯曲が10~20Pの「一幕物」で、すぐ読めます。
武者小路先生の『釈迦』も読んでみようっと。

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