それでも神を見捨てない?(『たそがれ、遥かに』その2) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

それでも神を見捨てない?(『たそがれ、遥かに』その2)

無神論者や、仏教徒が、「創造者で全知全能の神」というお話に
気が乗らないのは、すぐにこういう疑問が沸くからだと思う。
「全知全能なら、世界に溢れる悲惨をなぜほうっておくのか?」
「なぜ人間を残酷でロクデモないものとして創造したのか?」


他人事として言ってるぶんには気楽だが、
神を信じながら悲惨な目に遭った人はこれにどう答えるのだろうか?


そのもっとも絶望的な例が、ホロコーストに遭ったユダヤ人だと思う。

それでも神を見捨てないのだろうか?

以下、ホロコーストを生き延びたユダヤ人作家、エリ・ヴィゼールの
『たそがれ、遥かに』(人文書院、前田直美訳)のランダムなメモの続き。


すいません、著作権的にやばいぐらいの量・・・。
神と狂気が好物な人は、シビれる言葉が山ほどあるので、

現物を読んでみてください。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
リンクに表示されるテキスト


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(精神病院の患者・アダムの言葉)

「…聞いてくれ主よ。私が言っていることは、あんたのためだ、
あんたの得になることなんだ。止めてくれ。主よ。
あんたの計画を止めてくれ。その計画はバカげている。
成功の望みはまったくないんだ。
万能のあんただってうまくいきっこないさ。
人間があんたの栄光だって? バカげている。
人間はあんたの失敗作なんだ」
(P58)

救世主あるいは物語の大団円。待つこと自体が清めとなるのだ。
存在の不確実な道を歩む人間には、約束と期待が付きものだ。
(P282)

(友人・ペドロの言葉)

「沈黙はいつも言葉の不在を意味するわけじゃないんだよ。
言葉の奥に存在しているものをも意味している。
すべて沈黙の質と強さによるんだ」
(P296)


(クライマックス、神らしき存在との対決)

「わが創造物がこうなるとは思いもよらなかった」と
ぼくの隣に座っている男が言った、
「私のおかげで息をしているあらゆる生き物、彼らは私に何を要求しているのか?
私が沈黙したまま物事の外側にいるようにか、

彼らの現在の生の外側にいるようにか。
私が黙っていると、その沈黙を非難し、私が話すと専制的だと責める」(P338)


「あんたは、人間を憐れだと言うが、

あんたの憐れみはいったいどこにあるのか?
あんたに慈悲があることをみんなどこで見分けるのか?
なぜあんたはそれに限界を設けたいのか?
あんたが全能なら、なぜあんたは人間の低さを高貴なものへの渇望に
変えないのか? 残忍な欲望を寛大さに変えないのか?」(P339)


「子どもたちが炎のなかに投げ込まれないために
私が介入すべきだったのは正確にはどの時点か、
あんたは言えるかね? 最後の瞬間だけかね?
その前は違うのかね? もしもっと前なら、それはいつ?」(P340)
(※ じゃあ何もかも創造しなきゃよかったのかね? ということ)


(なぜ神がこの殺戮を止めないのか、という主人公の自問自答)

のちに、ぼくは、神がただ単に他であまりに忙しかったという
ことではないかと思い至る。

言い換えれば、神は無関心なのではないかと。
(中略)
神と人間の間にはどんな触れ合いもない。

神? まったき無縁のものだ。
しかし、それなら神に仕えることが何の役に立つだろう?(P345)


(ペドロとの会話)

ぼくは言う、「今でも神を信じるには、狂っていなければならない。
君もそう思うかい、ぼくのように?」
今回もまた答えるのに間がある、しかし答える。
「私は別の説明を考えている。もし狂っているのが神だったとしたら?」
(P348)


狂った神か、狂った人々の神、神は一人で、

その孤独が彼に重くのしかかる。
もし彼を癒すために、ぼくの確信を、ぼくの明日を危うくすることが必要なら、ぼくはそうするだろう。
(P357)


(訳者、前田直美さんによる作品解説)


戦後のヴィーゼルに非常に大きな影響を与えた、タルムード学者の
ハラヴ・シャウル・リバーマンは、ヴィーゼルに、
『聖書』の登場人物の中でもっとも悲劇的なのは「神」だと指摘している。
彼の創造物から、しじゅう失望させられ悩まされた神は、
気の毒な神でもあると。(418P)


残忍な神、無関心な神という観念よりさらに絶望的な「狂気の神」
という指摘が、ある種の正当性を伴って、ユダヤの物語のなかで
恐らくは初めて登場する。(中略)
ホロコーストにおける神の役割を不問に付すこの「神の狂気」という解釈は、
ヴィーゼルの悲嘆と憤怒と憐憫から発した、「彼(神)」に対する
告発回避のための方便であり、ホロコースト後も神と決裂することなく、
神との親近性を維持することをユダヤの民に可能にする、
新たな神話の必要条件である。


(おしまい)


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  

ホロコーストの映画は山ほど見たが、最初はこのドラマでうなされた。

去年DVD化されたらしい。



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