日本初の出家者が女性だった理由は
先日書いた初期仏典の現代語訳『原始仏典Ⅱ相応部1巻』(春秋社)が
本屋さんにあったのでチラ見したら、
順次リリースされる相応部は6巻まであるんだって。
あはは。どうしよう。嬉しいけど大変だ。と思ったら萎えて買いそこねた。
仏教と関係ないどうでもいい本とかも読みたいなー、
と思って買った小説を読むヒマがなく2年放置している。
相応部6巻も結局読むのだし、仏典読まなきゃ話にならないけれど、
このような強迫観念はまるで仏教的ではないと思うのだがどうか。
ところで、11月30日に、禅僧・南直哉さんの月イチ仏教講座に行った。
またまた強烈に面白かった。
今回も、日本に仏教が伝わった頃の話。
日本で最初に出家した人って誰でしょうか?
(仏教業界人はもちろん知ってるでしょうが)
日本初の出家者は、女性、尼さんなんですよねー。
しかも、受戒したのは、現役坊主じゃなくて還俗した人なんですって。
「そんなのありえないですよ!」と南さんは言っていました。
軽~く調べてみたら、584年に最初に出家したのは、
司馬達等の娘・善信尼など3人の女性。
受戒したのは、高麗から渡来した僧で還俗した恵便。
手引きしたのは、仏教導入の功労者、蘇我馬子。
で、男性が最初に出家したのは、日本書紀によると590年で、
同じく司馬達等の息子・多須奈(出家名は徳斎)。
お釈迦さまでさえ、女の出家にしぶしぶだったのに、
女が先という日本は古代から男女共同参画社会だったのでしょうか?
もちろんちがいます。
南さんが言うには、要するに「巫女さん」の仏教版だと。
当時の日本では、仏といっても「外国の神様」も同然で、
雨を降らすか病を治すぐらいの期待しかされておらず、
だったら「巫女」と同じような「尼」がしっくりきたというわけです。
当時の日本は、外交上の必要に迫られて、
グローバルスタンダード(=当時は中国朝鮮スタンダード)の
仏教を入れざるをえなかったわけですが、
どう考えたって、蘇我馬子がそのために司馬達等に
10歳そこそこの娘を差し出してもらい、受戒する人を探して、
もうこの際、還俗者でもなんでもいいやということで
とり急ぎ仏教輸入の体裁を整えた、という風情ですよね。
そんななかで、聖徳太子は何したの・・・・?
という南さんの話がとっても面白かったのですが、続きは後日。

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