お釈迦さまは偉大なる社会主義者 by高木顕明
『日本仏教の可能性 現代思想としての冒険』(末木文美士著、新潮文庫)
を読み始めた。
2003~2006年の講演録が、いったん単行本になって、それが最近、文庫化された。
講演録だから、やさしく読みやすい。
仏教は昔の素敵なサムジングということじゃなくて、
自分の人生、社会の変革に、真剣に生かそうとした人が
近代日本にも随分といたそうで、
末木先生はそのへんの日本近代仏教の第一人者だ。
よく知られているのは清沢満之(きよざわまんし、1863~1903)。
だけれど、この本で、末木先生が注目している人物として、
高木顕明(1864~1914)を挙げていた。初めて知った名前だけれど。
高木顕明は、真宗大谷派のお坊さんで、仏教に社会主義を見た人なんですねー。
で、社会主義者弾圧の大逆事件によって、
ヌレギヌ的に無期懲役に処せられて刑務所で自殺してしまう。
欧米の借り物ではなくて仏教を社会主義の根拠にしたこと、
お釈迦さまを「偉大なる社会主義者」と書いていること、
阿弥陀仏は「平等な救済」で、浄土を「社会主義の実践の場」
と見ていることなどすごく興味深い。
「余が社会主義」という文書には、こんなふうに書いてある。
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「余が社会主義」
緒言。余が社会主義とはカールマルクスの社会主義を禀けたのでない。
又トルストイの非戦論に服従したのでもない。
片山君や古川君 (ママ)や秋水君の様に科学的に解釈を与へて
天下に鼓吹すると云ふ見識もない。
けれども余は余丈けの信仰が有りて、実践して行く考へであるから
夫れを書て見たのである。何れ読者諸君の反対もあり御笑ひを受ける事であろ-。
しかし之は余の大イニ決心のある所である。
(中略)
第一番には釈尊である。彼れの一言一句は或ハ個人主義的義論もあろ-。
尓し彼れの一生はドーであるか。帝位を捨てゝ沙門と成り、
吾れ人の抜苦與楽の為二終生三衣一鉢で菩提樹下二終る。
其の臨末二及んて鳥畜類迄別れを悲Lんだとは実に零界の
偉大なる社会主義者ではないか
(尓し乍ら自今平民社や直言者やの社会主義者とは同一義論では無かろ)。
余は極楽を社会主義の実践場裡であると考へて居る。
諸君よ願くは我等と共に此の南無阿弥陀仏を唱へ給ひ。
今且らく戦勝を弄び万歳を叫ぷ事を止めよ。
何となれば此の南無阿弥陀仏は平等に救済し給ふ聲なればなり。
http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/
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お釈迦さまは、個人主義的もあったけれど、
王位と財産を捨てて、人々の苦を減じるよう活動したのは、
社会主義者ではないかーーと高木顕明は書いている。
これは変な解釈とも思えず、ふつうに読めばそうだよなあ、とも思う。
ただ、お釈迦さまは社会変革にはぜんぜん興味がなくて、
人間の内面改革を目指したので、
革命やってるヒマがあれば瞑想しな、と言ったかもしれないけど。
高木顕明は東本願寺から擯斥処分にされてしまい、
その85年後に処分取り消しになったそうだ。
高木顕明が住職だった浄泉寺が、
名誉回復をめざしてHPにも解説をのせています。
http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/