「法然と親鸞」展のあとは表慶館ものぞこう
先日、書ききれなかった
「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」(東京国立博物館 12/4まで)のメモの続きです。
◆ 親鸞さんはさすがの勉強家 ◆
親鸞直筆の「教行信証」ほか、お経に註を書きこんだ文書があって、
信者さんにとっては涙ものじゃないですかね。
特に、「阿弥陀経」にびっしり赤字で註を書きこんだものには感動した。
命がけで仏教やった人、というのが伝わってきた。
◆ 「念仏だけじゃダメ」という一派もあった◆
説明パネルによると、法然死後、
浄土宗は「弥陀の二十願の扱いをめぐって4流に分かれた」。
面白いのは、「念仏だけじゃダメ」という一派もいたということだ。
長西らが唱えた「諸行本願義」は、念仏だけでなく写経や諸々の善行を積む必要があるという一派だったけれど、浄土宗の仲間内から大批判されて消滅してしまった。
浄土宗HPには長西の教えを「実践的であるよりも学解的、しかもその学風は歴史学的・客観的」と書いてあって、
要するに”小難しい”ので「念仏オンリー」に負けてしまったようだ。
◆ 浄土真宗は仏をあまり描かない ◆
蓮台の上に仏像でなくて、「南無阿弥陀仏」などと文字(名号)が書いてある
図像が何点かあった。親鸞は、阿弥陀仏を形にできない「無量の光」と考えたので
文字であらわしたそうだ(だから浄土真宗は仏像があまりないんだな)。
その左右に、インドや中国・日本の浄土教の祖師像を描いたのが「光明本尊」。
龍樹なども描いてあって、「うちらインド発の本格派」というアピールにも見えた。
◆ 「悪人正機」の伝言ゲーム ◆
浄土宗・真宗というと、いま一番有名なセリフは
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(善人尚以往生況悪人乎)だろう。
でも、法然・親鸞とも、自分でこのセリフを書いたものは残っていない。
これは奇妙なことではある。
展示パネルによると、「法然の伝記の一つである醍醐本『法然上人伝記』のなかに、
『善人なほもて~』を法然が源智に口伝した、と書かれている」。
また『口伝鈔(くでんしょう)』(覚如著)に、「親鸞が法然から『善人なほもて~』
を相承した、ということを、親鸞の孫=如信から(覚如が)聞いた」と書いてある。
どんだけややこしい伝言ゲームなんだ。
法然・親鸞とも、弟子たちが異説を説いたり権力闘争があったりしたようで、
「悪人正機」もその前提で見たほうがいいのかも。
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表慶館・アジアギャラリーにも寄ってみよう!
前にも書いたように、「法然と親鸞」展(平成館)は仏像が少ししかない。
仏像好き、特にお釈迦さまファンは欲求不満になる。
そこでお薦めしたいのが、隣の「表慶館・アジアギャラリー」のインドコーナーだ。
(平成館入場者は、表慶館もタダで入れる)
私も欲求不満でフラフラ入ったのだが、これが大当たり。
インドコーナーに、1~5世紀のガンダーラ仏をはじめ、
マトゥラー、ブッダガヤ、アフガン出土など、14点の仏像があったのだ。
点数はわずかだけれど、までパンチパーマになっていない
ギリシア風イケメン釈尊にうっとり・・。
仏像誕生以前の、釈尊を法輪で表した有名な図像もあった。
しかも、ほとんど客がいない。

↑ガンダーラのお釈迦さま(2~3世紀、約77cm)。
これなんかガラスケース内でなくて、むきだしで展示してあるので
頬にキスしそうになっちゃいましたよ。
↑「弥勒菩薩・禅定仏・燃燈仏本生」(アフガン3C)。
一番上は、兜率天で説法してる弥勒菩薩。
お釈迦さまは、なんと一番下でひざまずいて髪の毛を差し出してる青年である。
お釈迦さまが前生でメーガというバラモンだったとき、
街に来た燃燈仏(ディーパンカラ)の足が汚れないように髪を差し出しているところ。
これで燃燈仏は、お釈迦さまに「きみは将来、如来になる」と予言をした。
もちろんフィクションで、紀元前3世紀頃に構成された
お釈迦さまの前世物語「ジャータカ」(本生譚)の場面。
展示リスト
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3170
東洋館がとうぶん改築中のため、表慶館に12/25まで展示される。

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