「四無量心のテーマ曲」を勝手に選定した
なぜだかわからないけれど、ひとつの曲が急に脳内で鳴り続けることがある。
この3日ほど、ドビュッシーのもっともメジャーな曲のひとつ
「月の光」が鳴っている。
この曲を勝手に「四無量心のテーマ」ということにした。
「四無量心」(CATU-APPAMANNA-CITTA、
チャトゥ・アッパマンニャー・チッタの四とは、慈・悲・喜・捨の4つ。
慈=Metta (メッター) : 多くの人々に深い友愛の心を無量に起こすこと
悲=Karuna (カルナー) : 多くの人々の苦しみに同感共苦する心を
無量に起こすこと。
喜=Mudita(ムディター) : 多くの人々にの幸福を共に喜ぶこと
捨=Upekkha(ウペッカー) : あらゆる執着を捨てる心を無量に起こすこと
(新・佛教辞典)
この4つの心で満たされた境地はなんて素晴らしいんだろうと想像するけれど
どうやら仏教のなかでは最上の目標ではなくて、過程のようだ。
阿含経典・中部のなかに、こんなお話が出てきます。
アーナンダ尊者が、昔なじみのバラモンに久しぶりに会ったら
彼は修行をサボっていた。
老いた親の面倒や、生活に追われて、修行どころではなかったのだ。
そのバラモンが、病にかかって、余命わずかとなった。
アーナンダは、もう今から涅槃を目指すのは間に合わん、と思って、
「四無量心で心を満たしなさい。そうすれば梵天に生まれます」
と言い、バラモンはそのとおりにして死んでいく。
さしあって今から間に合うことを教えるのが、
人間味あふれるアーナンダ尊者らしいけれど、
周囲の比丘は「もっと上を目指すべきなのに半端なことを教えた」
といってアーナンダを非難する。
対して、お釈迦さまは、「彼は梵天に生まれた」と言って、
はっきりではないけれどもアーナンダを認めるような発言をする。
たとえ"過程”であっても、凡夫にとって「四無量心」で十分、という気もする。
生涯の目標として、「四無量心」でも道のりは激しく遠い。
お経に、こんなふうに出てくる。
慈しみを、上に下に右に左に、無限に広げよ。
悲・喜・捨も、上に下に右に左に、無限に広げていけ。
そうして四無量心で、自分と世界をいっぱいに満たせ。
この、満たされた境地は、幸せで安らかだ。
慈・悲・喜・捨で満たされた人になりたい
冒頭に書いたドビュッシーの「月の光」も、
広がって満たされて浄化されるイメージのピアノ曲だ。
もしこの曲が気に入ったら、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」という映画を観てほしい。
最後に男の子が、この曲をまるごと1曲弾く。
聴衆がスタンディングオベーション、というハリウッド映画みたいな野暮な大団円はない。

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この3日ほど、ドビュッシーのもっともメジャーな曲のひとつ
「月の光」が鳴っている。
この曲を勝手に「四無量心のテーマ」ということにした。
「四無量心」(CATU-APPAMANNA-CITTA、
チャトゥ・アッパマンニャー・チッタの四とは、慈・悲・喜・捨の4つ。
慈=Metta (メッター) : 多くの人々に深い友愛の心を無量に起こすこと
悲=Karuna (カルナー) : 多くの人々の苦しみに同感共苦する心を
無量に起こすこと。
喜=Mudita(ムディター) : 多くの人々にの幸福を共に喜ぶこと
捨=Upekkha(ウペッカー) : あらゆる執着を捨てる心を無量に起こすこと
(新・佛教辞典)
この4つの心で満たされた境地はなんて素晴らしいんだろうと想像するけれど
どうやら仏教のなかでは最上の目標ではなくて、過程のようだ。
阿含経典・中部のなかに、こんなお話が出てきます。
アーナンダ尊者が、昔なじみのバラモンに久しぶりに会ったら
彼は修行をサボっていた。
老いた親の面倒や、生活に追われて、修行どころではなかったのだ。
そのバラモンが、病にかかって、余命わずかとなった。
アーナンダは、もう今から涅槃を目指すのは間に合わん、と思って、
「四無量心で心を満たしなさい。そうすれば梵天に生まれます」
と言い、バラモンはそのとおりにして死んでいく。
さしあって今から間に合うことを教えるのが、
人間味あふれるアーナンダ尊者らしいけれど、
周囲の比丘は「もっと上を目指すべきなのに半端なことを教えた」
といってアーナンダを非難する。
対して、お釈迦さまは、「彼は梵天に生まれた」と言って、
はっきりではないけれどもアーナンダを認めるような発言をする。
たとえ"過程”であっても、凡夫にとって「四無量心」で十分、という気もする。
生涯の目標として、「四無量心」でも道のりは激しく遠い。
お経に、こんなふうに出てくる。
慈しみを、上に下に右に左に、無限に広げよ。
悲・喜・捨も、上に下に右に左に、無限に広げていけ。
そうして四無量心で、自分と世界をいっぱいに満たせ。
この、満たされた境地は、幸せで安らかだ。
慈・悲・喜・捨で満たされた人になりたい
冒頭に書いたドビュッシーの「月の光」も、
広がって満たされて浄化されるイメージのピアノ曲だ。
もしこの曲が気に入ったら、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」という映画を観てほしい。
最後に男の子が、この曲をまるごと1曲弾く。
聴衆がスタンディングオベーション、というハリウッド映画みたいな野暮な大団円はない。
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