道を歩くのは自分(中部107経 算術家モッガラーナ)
中部経典の最後の巻『原始仏典・中部経典Ⅳ』(春秋社、中村元監修)
を読み始めました。
ふ~。
繰り返しが多いので、ここまでくるとさすがに、今まで読んだお経とだいたい同じ、
ということが増えてきます。
でも何度も同じフレーズを読むのは復習として大変けっこうだと思います。
第107経「算数目犍連経」(算術家モッガラーナ)。
あの仏弟子のモッガラーナとは別人ですよ。
算術家バラモン=算術によって生計を立てるもの=とのことですが、
数学者のようなバラモンなのでしょうか?
モッガラーナは、お釈迦さまに尋ねます。
建築物やバラモンの学問や算術には、順序だった指導法がある。
私たち算術家は、内弟子を取ったら、1、2から100まで数え上げさせる。
「どうです、ゴータマさん、できますか、あなたがたの教えと戒律においても
順序だった指示・営為・進展を示すことが」。
モッガラーナさん、軽く挑発していますね。
お釈迦さまは「できますよ」と答えて、「戒律によって品行を正すこと」に始まり
「瞑想の第四の境地の達成」に至るまでの指導の順序を説明します。
するとモッガラーナは、
「なぜそのように指導されても、寂静の境地に至る者と、至らない者がいるのか?」
と、さらに質問します。
これに対する答えが、お釈迦さまらしく初期仏教らしくて清々しい。
道順を教えても、目的地に着ける者と、着けない者がいるでしょ?
それと同じことだ、と。
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「寂静の状態は存在し、寂静の状態に至る道も存在し、教導者であるわたしもおり、
しかも、わたしの弟子たちは、わたしからこのように導かれ、
このように教えられていながら、
ある者は究極の目標である寂静の目標に至るのですが、
ある者は至ることがないのです。
そのことについて、わたしになにができるでしょう。
バラモンよ、如来は道を説き示す者なのです」。
訳:松田慎也
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お釈迦さまの道案内で、あとは自分でがんばって歩きましょう。
イメージとしては人跡未踏の地の探検隊長

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