自分を信じるのはよくない(『サンガジャパン』Vol.7)
仏教雑誌『サンガジャパン』VOL.7を読んだ。今回の特集は「少欲知足」。
みうらじゅんさんのインタビューがかなり長く出ていて、本当にゆるゆるで笑えた。
「弥勒の出現まであと何日」っていう電光掲示板があるといい、とか、
「釈迦と酒飲んでもつまんないでしょ」とかね(つまんないでしょうね)。
ちょっとだけ引用すると
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僕たちは「I don't believe me」って書いたTシャツ着てたほうが
いいんですよ。自分のことを信じすぎてる人が一番よくないと思う。
(中略)
そうじゃなくて、「ジョン・レノンならそんなことしないだろう」とか、
「ブッダならこうするだろう」と考えないと。よぎるんですよ、頭にね。
あの人ならしないだろうって悪事を止めたこと、僕たくさんありましたから。
だってもう、わかってるんでしょ。死ぬってこともわかってるんでしょ。
若いときからうすうす気が付いてたけど、「言うとなあ…」ってこと
あるじゃないですか。しらけるし、やる気もなくなる。
(中略)
だからさ、シャーリプトラあたりが、突っ込めばよかったですね。
悟りについて語るブッダに「それ言っちゃあおしまいですから」ってね。
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いくつか、その理解でいいのか?と思う箇所もあったけれど、
自分の人生に仏教を”使って”いる人ならではの面白さがあった。
みうらさんの持論である「童貞力」の話になったとき、
みうら「ダライ・ラマはどうなんですか?」
編集部「ダライ・ラマは童貞だと思います」
って、こんな不埒な一文に仏教雑誌で出会えるとは思わなんだ。
でもダライ・ラマのような人間的な色気というかチョイワル感が
童貞にして醸し出せるなら、やっぱりたいしたものだ。
それから、ドイツ人の禅僧・ネルケ無方さんのインタビューもあった。
面白かったのは、初期仏教のヴィッパサナー瞑想やマインドフルネスと、
禅の座禅の違いについて。
前者の修行をした人がネルケさんのお寺にやってくることがあって、
「見ていると、何でも<ゆっくり>なのです」と。
「何かやりきれていない、一歩引いている印象があります。
掃除などの場合、半分は掃除をしていて、
半分は掃除をしている自分を眺めているのです。
禅だったら百パーセント掃除に打ち込みます。
掃除して自分を忘れる。そういう印象があります」。
理論的にどうかは別として、実践者の印象として、なるほどなあと思った。
それから『つぎはぎ仏教入門』を書いた呉智英さんと宮崎哲哉さんの対談は、
とっても難しい単語が飛び交う。
面白かったのは、実存の問題・・・生と死がどうとか、自我がどうとか、
ということは、生きるか死ぬかの厳しい状態だと考えてる余裕がない、と。
お釈迦さまが「人生は苦だ」とか考える余裕があったのは、
とんでもなく恵まれた環境にいたからかもしれず、
「衣食足りて実存苦を知る」
「つまり、知識とか思想ってそういうものじゃないか、と。
悪く言えば、金持ちのボンボンの妄想みたいなものかもしれない、と」
(by 宮崎さん)。
そう考えると、飢饉で人がバタバタ死んじゃうような時代には
お釈迦さまの教えがイマイチ受けが悪くて、
現代になってバック・トゥ・釈尊のような状況になっているのは、
みなさん衣食足りてきたからかも?と思えなくもない。
『サンガジャパン』、面白いよ!
