差別という壮大な迷妄(中部第98経「ヴァーセッタ経」) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

差別という壮大な迷妄(中部第98経「ヴァーセッタ経」)

昨日に続いて、階級(カースト)にまつわるお経で、
本日は中部第98経「ヴァーセッタ経」。


ヴァーセッタとパーラドゥヴァージャという2人のバラモン青年が、
散歩しながら「真のバラモンとはどんな人か」を議論しています。

前者は「正しい生活習慣を持ち戒めを守る人」と言い、
後者は「7代前の先祖まで家柄のことでバカにされたりしない人
(つまり先祖代々バラモンの生まれということ)」と答える。

結論が出ないので、2人はお釈迦さまに尋ねにいきます。
(2人はバラモン教なので、尊師などとは言わず
「修行者ゴータマ」とラフに呼んでいる)



お釈迦さまの答えはこうです。

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「草や木を思い浮かべなさい。
それらは自分では言わないけれども、それらは生まれによる特徴がある。
じつに生まれによってたがいに異なっている。

また、うじむし、蛾、蟻に至るまで、それらは生まれによる特徴がある。
(略)
大小の四足動物を思い浮かべなさい。(略)
腹で進み、長い背中をもつ蛇を思い浮かべなさい。
(略)
しかし人間には、そのような生まれによる別々の特徴はない。
髪の毛、頭、耳、眼、口(略)脛、太腿、色、声、
これらのいずれについても、他の生き物にあるような
生まれによる別々の特徴というものはない


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ウミウシ        フラミンゴ       ヒト          ヒト


人間は身体をもってはいるけれども、それぞれに生まれによる別々の特徴はない。人間は名称によって区別されるだけである。


人間のなかで牧畜によって生活する人は農夫であってバラモンではない。
ヴァーセッタよ、このように知りなさい。
人間のなかでいろいろな技術によって生活する人は職人であってバラモンではない。
(中略)
人間のなかで祭式を実行することによって生活する人は祭官であってバラモンではない。
(中略)
なにものも所有することなく、執着のない人をわたしは本当のバラモンという。
(以下、本当のバラモンたるべき行いについて続く)


           『原始仏典 中部経典Ⅲ』(春秋社)第98経 山口務訳
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草、木、昆虫、魚、鳥・・・と、ありとあらゆる形状の生物がいるなかで、
人間はみんな体毛がほとんどない2足歩行の脳が肥大した同じような動物で、
その違いは誤差に過ぎない。
ユダヤ人でもアラブ人でも日本人でもほとんど同じ、ましてや階級の違いなど
「名称によって区別されるだけである」。
お釈迦さまの視点は、ほとんど生物学者のようで、事実としか言いようがない。


日本人・中国人・韓国人なんて、傍から見ればまったく区別がつかないのに、
近親憎悪ほどねちっこいといいますか、
ネット右翼みたいなのが、中国人や韓国人をコケにして溜飲を下げたり、
「韓流贔屓だ」ってんで真顔でフジテレビを包囲したり、どんだけ暇なんでしょうか。


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                         まったく同じ生物たち

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