初めて聞いた仏さま「熾盛光如来」(京都・青蓮院その2)
京都・東山の天台宗・青蓮院門跡の続きです。
「門跡」というと何かの跡地みたいですが、
皇室や摂政・関白家が代々の門主(住職)をつとめる寺のこと。
普通に考えて、権力に近く羽振りがよさそうですね。
ガイドブックには庭のことぐらいしか出てなかったのですが、
青蓮院は仏像も、また仏教史的にも興味深くて大当たりでした。
◆ 初めて聞いた「熾盛光(しじょうこう)如来」
本尊は、平安後期開創のときから「熾盛光如来曼荼羅」(非公開)。
「熾盛光如来」とは初めて聞きましたが、大日如来の仏頂尊(頭の頂にいる仏)
だそうで、この如来を本尊とするのは、日本で青蓮院だけらしいです。
しかも、普通の曼荼羅は真ん中に仏の絵が描いてあるのに対して、
「熾盛光如来曼荼羅」は真ん中に梵字がある「種子(しゅじ)曼荼羅」。
熾盛光如来を表す「ボロン」という字が描かれています。
非公開の曼荼羅が納められた逗子の前には、
替わりに篤志家から奉納された「お前立ち像」が奉られています。
これは糸魚川産の巨大な翡翠の原石に、プラチナで「ボロン」の字が刻まれたもの。
この翡翠に向かって「ボロン、ボロン」と唱えてください、
というのですから、もう完全に呪術だなあ。
なんと史上初めて2005年に開帳された熾盛光如来曼荼羅
(オリジナルは火災で消失、豊臣秀吉が復元再作成して奉納したもの)。
「ボロン」の周りに、時計回りに観自在、金剛手、毘倶胝、赤色の仏眼仏母、
不思議童子、文殊、救護慧の各菩薩が描かれている。
背景は青い顔料「群青」で虚空を表す。
数百年前の色がこんなに鮮やかに残っているとは。
◆ 天台宗から浄土宗・真宗が生まれた舞台
ご存知のように浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞とも、比叡山延暦寺のOBです。
比叡山を下りて「念仏だけでいい」と説いた法然に、
延暦寺や興福寺は猛烈な抗議文を決議して、念仏停止を訴えます。
その法然を庇護したのは、青蓮院の第3代門主・慈圓でした。
また、親鸞が9歳で得度したのも青蓮院で、真宗にとってもここは「聖地」。
境内に、チビっこ親鸞の像がありました。
青蓮院自体は、ご本尊から見ても思いきり天台密教なのですが、
新興思想の法然・親鸞も育むという、仏教史の結節点なのでした。
(何の予備知識もなく行って、あとで知りました)
青蓮院がもっとも羽振りがよかった平安末期~鎌倉初期の3代目門主・慈圓は、
権勢を誇った藤原氏の出。慈圓の兄は摂政・関白・太政大臣の藤原兼実で、
兼実の要請で、法然は専修念仏宣言の書『選択本願念仏集』を書いたそうです。
と考えると、法然・親鸞も最初は権力者にバックアップされていたんですね。
それがじきに「念仏禁止」「流罪」の憂き目に遭うのだから人生わかりません。
しかも念仏弾圧を決定づけたのが、後鳥羽上皇を激怒させた
しょうもない色欲スキャンダルだったというから面白い。
いわゆる南都六宗→天台・真言→浄土宗・真宗→禅宗・・・。
日本仏教の流行廃りって、朝廷・幕府に気に入られたり嫌われたりという
権力闘争も込みで見ないとわからないなあ、と当たり前のことを実感します。
そういえば、紅葉の時期に青蓮院のライトアップを見に行こうとした知人が、
大行列で入れなかったと言ってました。行くならオフシーズンのほうがいいかも。

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