つまらぬ冗舌、際限のない話(中部41経 サーレッヤカ経) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

つまらぬ冗舌、際限のない話(中部41経 サーレッヤカ経)

初期仏典読みの続きを再開しました。
『原始仏典 中部経典Ⅱ』(春秋社、中村元監修、第41~76経)。


経典には何度も同じ表現が出てくるので、
そのうち頭の中でリフレインするようになってきます。
たとえば次のようなフレーズ。


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 第41経 サーレッヤカ経


(ことばによる不正な行いについて)


この世界には偽りを語る者がいる(中略)。
このように自分のために、または他人のために、
またはなにがしかの利益のために、故意に偽りを語る。


また中傷する言葉を語る者がいる。
こちらの人々を離反させるために、こちらで聞いてはあちらで(中傷して)語り、
あちらの人々を離反させるために、あちらで聞いてはこちらで(中傷して)語る。
このように離反を起こさせ、離反を惹起させ、不和を愛し、不和を好み、
不和を喜び、不和を促すことばを語る。


荒々しいののしりのことばを話す者がいる。
荒々しく乱暴なことばであり、他の人を苦しめ、他の人を不機嫌にさせ、
怒っているかのようであり、定に導かない。


またつまらぬ冗舌を語る者がいる。時期にかなって話さず、
事実を話さず、利益のないことを話し、法を話さず、律を話さず、
心に残る話を話さず、時期を考慮せずに、話すべき理由なしに話し、
際限なく話し、利益のない話を話す。


          *同様の内容はほかのお経にも繰り返し出てきます。              
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テレビをつける、雑誌を読む、知人とダベる、といった場面で、
このフレーズが脳内リフレインを始めると困った事態になります。


中傷、荒々しいののしりの言葉、つまらぬ冗舌、
話すべき理由もなしに、利益なきことを、際限なく話す。


よく考えると、世に溢れる言葉の8割方が
これに当てはまってしまうのですもの。自分の発語も含めてね。


結果、ああつまらない、と内心で呟いて、
にこやかにその場を去りたくなってしまいます。

そもそも「話すべき理由」のある話など、ほとんどないですし、

だんだん無口になってきた。

この偏屈化は、いいことなのかしら、悪いことなのかしら。



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見ざる言わざる聞かざる


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