仏教なければ自殺か塀の中?(『語る禅僧』南直哉著)
詳しい方からすると今更ですが、曹洞宗の禅僧・南直哉(じきさい)さんに
最近猛烈に興味が沸いて、最初の著書『語る禅僧』を読み始めました。
(絶版だったのが、2010年にちくま文庫になったので入手しやすいです。
そして、ものすごく文章がうまい)
寺の息子でもない南さんが出家するに至った由来を書いた
第一章しか今日は読めなかったのですが、これはなんとも痛切です。
小児喘息で味わった自分も世界も崩壊するような感覚、
「死を見たい」という思いから猫を殺したら目玉が飛び出したこと、
小学生時代にエロ漫画を読んで知った性衝動、、
正月から吉野家の牛丼を食べながらカントを読むような大学時代、
サラリーマンになって2回り近く年上のバツイチ女性と付き合った話。
とにかく難儀な人であったようです。そして25歳で出家。
仏教がなければ自殺か塀の中だったかもしれませんね。
なかでもリアルだったのが、11歳のとき喘息で入院して
同室になった3人の「老女」の描写です。
口から食べ物を逆流させながらも自力で食べることに執着する老女、
果てしない愚痴とでっち上げの家族の自慢話をする実は未婚の老女、
寝たきりで「ひっくり返った蛙」のような老女。
特に、寝たきりの老女は、嘘のナースコールをするために、
南少年に「ヤカンで股間に水をかけてくれ」と頼みます。
南少年は「人をこういうふうに追い込んでいくものに慄然とした」。
老女たちの「老い」を描く筆致は、切なくはあるけれど、
薄っぺらい同情や共感は皆無で、ひたすら乾いていて、グロテスク。
「私の見た老いは、若さだの健康だの、いままであったとされていたものの
喪失ではなく、動かしがたい、ケタ外れの密度の、圧倒的な何かの存在だった。
肉体と精神の中に、得体の知れない、抑えきれない何かが、身を起こし、
屹立していくことだった。
それは明らかに私に馴染みの何かだった」(同書より)
お釈迦さまが、老いや病や死に感じたのも、こういう感覚だったかもしれません。
可哀想とか悲惨だというウエットなことでなくて、
なにか正体不明の怪物のようなグロテスクさだったかもしれません。
こんな難儀な南さんが、阿含経典のお釈迦様の言葉に出会ったとき、
「神を見たという人や、真理を直観したという者に、
ついぞ感じなかった懐かしさが、この人物にはあったのである」
と感じたのは、しごく当然のように思われます。
要は、2500年前のインドに、俺と同じようなヤツがいた!と。
ひるがえって自分を見るに、こんな難儀さは抱えていなくて、
それなりにチャラチャラと浮ついた人生を送っているので
なんでお釈迦さま~とか言ってるんだろうと不思議ではあります。
ただ「私はつい最近まで<友達>という言葉がどういう人を指すのか、
わからなかった」という南さんの言葉は、自分のことのようです。
私はいまだに<友達>の意味がわかりません。
南さんの本が猛烈に読んでみたくなったということは、
私もいい加減、俗世においてヤキが回ってるのかもしれないです。
まるでわからなかった「正法眼蔵」、これで再トライしてみようかな・・・。
小池龍之介さんの『坊主失格』の、過去に女をボコ殴りした話とか
懊悩の青春譚にはどこか武勇伝的な自惚れを感じましたが、
南さんのはドライで人が悪く飾りがないように思いました。
でもね、こんな南さんの法話・講演って、落語みたいに笑えるって噂ですよ。

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