ユダとデーヴァダッタ
昨日、提婆達多(デーヴァダッタ)について少し触れたときにふと思ったのですが、
南伝仏教国の文学や映画で提婆達多はどんな扱いなんでしょうかね。
正味の悪者なのか、あるいは業深き者として負のシンパシーを感じる存在なのか。
デーヴァダッタはお釈迦さまの従兄弟で、出家して弟子になったのですが、
のちにお釈迦さまに背いて比丘を連れて別教団をつくり、
お釈迦さま殺害も企てた裏切り者とされています。
(法華経の提婆達多品では、この人も救われることになっていますが)
デーヴァダッタがどんな扱いか?と思ったのは、
キリストを裏切ったユダは、単なる大悪人とはちょっと違う、
ややこしくも文学的な位置づけをされてるような感じがするからです。

ゲイ的な含みさえ感じる「ユダの接吻」
ロックミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』では、
弟子のなかで唯一黒人のミュージシャンがユダを演じていました。
それから、若かりし頃に激しく感動した太宰治の「駆け込み訴え」。
ユダの一人称で、キリストへの愛憎が血を吐くように語られます
ぜひ読んでみていただきたい。
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。
はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。」
(あの人とは、もちろんキリスト)
いま青空文庫で全文読めます
↓
http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277.html
ボブ・ディランがアコースティックギターをエレキギターに持ちかえたとき、
客席から「ユダ!」というわかりやすい野次が飛びましたが、
そういった場面で仏教国では「デーヴァダッタ!」という野次が飛んだりするのかな?
大映の壮大な失敗作、映画『釈迦』では、
デーヴァダッタが勝新太郎で、最後には救われておりましたが・・・。
それで、今回はじめて発見したのですが、
「提婆達多」という文学作品があるんですね。
作者は、漱石の弟子筋の詩人・中勘助。
どの程度のフィクション割合なのかわかりませんが、
面白そうなので、そのうち読んでみたいと思います。
『提婆達多』
中勘助(1985年、緑51-5、品切れ重版未定:もとは新潮社1921年)

(岩波HPより)
ひとり彼にのみ勝利の日を楽しませはせぬ!」――仏陀に対する狂おしいまでの嫉妬と憎しみから,生涯,執拗に仏陀に挑みつづける従弟提婆達多.我執の権化ともいうべきその姿をとおし,人間の我と妄執の生みだす悲劇が力強い文体で描き出される.和辻哲郎による書評「『提婆達多』の作者に」を付載. (解説 荒 松雄)

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南伝仏教国の文学や映画で提婆達多はどんな扱いなんでしょうかね。
正味の悪者なのか、あるいは業深き者として負のシンパシーを感じる存在なのか。
デーヴァダッタはお釈迦さまの従兄弟で、出家して弟子になったのですが、
のちにお釈迦さまに背いて比丘を連れて別教団をつくり、
お釈迦さま殺害も企てた裏切り者とされています。
(法華経の提婆達多品では、この人も救われることになっていますが)
デーヴァダッタがどんな扱いか?と思ったのは、
キリストを裏切ったユダは、単なる大悪人とはちょっと違う、
ややこしくも文学的な位置づけをされてるような感じがするからです。

ゲイ的な含みさえ感じる「ユダの接吻」
ロックミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』では、
弟子のなかで唯一黒人のミュージシャンがユダを演じていました。
それから、若かりし頃に激しく感動した太宰治の「駆け込み訴え」。
ユダの一人称で、キリストへの愛憎が血を吐くように語られます
ぜひ読んでみていただきたい。
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。
はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。」
(あの人とは、もちろんキリスト)
いま青空文庫で全文読めます
↓
http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277.html
ボブ・ディランがアコースティックギターをエレキギターに持ちかえたとき、
客席から「ユダ!」というわかりやすい野次が飛びましたが、
そういった場面で仏教国では「デーヴァダッタ!」という野次が飛んだりするのかな?
大映の壮大な失敗作、映画『釈迦』では、
デーヴァダッタが勝新太郎で、最後には救われておりましたが・・・。
それで、今回はじめて発見したのですが、
「提婆達多」という文学作品があるんですね。
作者は、漱石の弟子筋の詩人・中勘助。
どの程度のフィクション割合なのかわかりませんが、
面白そうなので、そのうち読んでみたいと思います。
『提婆達多』
中勘助(1985年、緑51-5、品切れ重版未定:もとは新潮社1921年)

(岩波HPより)
ひとり彼にのみ勝利の日を楽しませはせぬ!」――仏陀に対する狂おしいまでの嫉妬と憎しみから,生涯,執拗に仏陀に挑みつづける従弟提婆達多.我執の権化ともいうべきその姿をとおし,人間の我と妄執の生みだす悲劇が力強い文体で描き出される.和辻哲郎による書評「『提婆達多』の作者に」を付載. (解説 荒 松雄)

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