お釈迦さまも欲望の中でのたうち廻った(中部第14経「小苦蘊経」)
本日は阿含経・中部・第14経「小苦蘊経」。
お釈迦さまはカピラヴァッツのニグローダ園で従兄弟のマハーナーマと話しています。故郷で身内といるせいか、お釈迦さまもなにかリラックスしているような気がします。
マハーナーマが、
「貪・瞋・癡が心の汚れだと理解はしているんだけど、
それを捨てることができない。一体どういうことだろうか」
と正直にお釈迦さまに打ち明けます。
お釈迦さまのほうも、
「実は私もかつては、わかっちゃいるけどやめられませんでした」
というようなことを正直に打ち明けます。
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正覚を得るまだ以前に、正覚者でなくまだ菩薩のままでいるわたしもまた、
『もろもろの欲望は快味が少なく、苦味が多く、悩みが多く、
ここには苦患がより多い』と、このようにこれを如実に
正しい智慧をもってよく見た。
しかし、そのわたしは、もろもろの欲望以外の、
不善のものども以外の喜びと安らぎを、あるいは、
それよりももっと静寂な別のものを証得しなかった。
すると、なるほどわたしは、その間もろもろの欲望のなかで
のたうち廻るままでいる自分を知った。
春秋社『原始仏典 中部経典Ⅰ』訳 及川真介氏
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そして、もっと喜びと安らぎと静寂に満ちたものを証得してはじめて、
もろもろの欲望を捨てたのだと、お釈迦さまは言います。
マガダ王のビンビサーラは三つの宮殿で舞子たちとともに
栄華を享受しているけれど、言葉を発することも身を動かすこともなく
7昼夜の安楽を得ることはできない。
けれどお釈迦さまは、「私は言葉を発することも身を動かすこともなく
7昼夜の安楽を得ることができる。ビンビサーラとわたしと、
どちらが安楽に住しているのか」と。
つまり、「欲望は苦のもとだから捨てなさい」で終わりではなくて、
「もっと喜びに満ちた世界があるんですよ」というのが本題なわけですよね。
お釈迦さまや阿羅漢たちは、
黙って禁欲しているだけに見えて、内心、楽しくってしょうがないわけですよね。
バリ島の海辺でマッサージしてもらうよりもっと安らかで嬉しい世界があるらしい。
しかもその世界に行くには旅行代金も予約も有給休暇も必要なく、
四畳半のアパートで瞑想していたって行くことができるわけでしょう?
そういう世界=境地がどこかにある、という事実だけで、
生きていける気がします。たとえ一生行けなかったとしても。
これよりもっと安らかな世界があるんですって。
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