膨大な僧侶の規則、トップ項目はなんでしょう?
4月に出た『律に学ぶ生き方の智慧』(佐々木閑著)を読んでいますが、
200~300項目にものぼる膨大な僧侶の行動規範で、
波羅夷罪=僧団追放という最も重い罪が4つあります。
殺生より盗みより前のトップ項目に挙げられたのは、
意外や「性行為の禁止」であります。
古代インド人にとって、それほどまでに性の問題は大事だったんですねえ。
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僧侶はどのような形であっても性行為を行ってはならない。
この規則を破ったものは、波羅夷罪とする。
ただし、やむを得ぬ状況になり、それを避けることができないと
自覚した場合、緊急避難措置として「私は規則が守れない」と
第三者に告げてから行ったなら無罪である。
(同書から引用)
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え~? 「守れません」と告げてやったら無罪、なんですか?
すいぶんと緩いじゃありませんか。
たとえば、女性信者に一方的に惚れられた僧侶が、
計略にはまって進退きわまる状況に追い込まれ、
もう自分の欲求に逆らえなくなる、といったケースは
「もうダメ!守れない!」と告げれば無罪だそうです。
生理現象に寛容ですね。
だったらいくらでも嘘がつけそうなものですが、
律の抜け穴を利用して悪いことを繰り返すと罰せられるので、
そちらでストッパーがかかっているそうです。
なぜ性行為が禁止なのかといえば、佐々木先生の説明では
「当時のインドでは、修行者は性的なことにかかわってはいけない、
と考えられていたから」。
お布施で暮らす僧侶は、世間に尊敬されないと飢え死にするので、
尊敬を得る行動法則として定められたのが律です。
だから、世間がダメというものはダメなんですね。
↑
と昨日書き飛ばしてしまったのですが、
性行為は、修行者が脱しようとする欲望や渇愛や執着の最たるものである、
という大事なことに触れずに書き飛ばしておりました。お恥ずかしい。
下でコメントくださった方に感謝します。
『南伝大蔵経 律蔵1』(大蔵出版)は文語調で読みにくいのですが、
「いずれの比丘といえども、比丘の学戒を受け戒を捨てず、
戒●(←読めない)きを告示せずして不浄法を行ぜば、
たとひ畜生と為すといえども波羅夷にして共住すべからざるものなり」。
とあります。
「人女・非人女・畜生女、どれもダメ」と書いてあるのですが、
畜生とは文字どおり動物なのでしょうか?
『南伝大蔵経 律蔵1』の、この項の最後にはこんな事例が書かれていました。
僧侶が小便をしていたら、幼い鹿が小便を飲もうとして、
イチモツをくわえ、僧侶は気持ちよくなってしまった。
それをお釈迦さまに告白したら、「それは波羅夷罪ではない」と言われましたとさ。
律が生きている仏教国では、僧侶が性行為できない≒子どもを作れないので、
ほうっておくと僧団がどんどん先細っていくため
新規僧侶獲得をちゃんとやらねばなりません。
日本仏教は律を取り入れていないので、
お寺を継ぐのはたいてい息子だったりします。
でもちゃんと律を守っていたら、日本の場合は、
とっくに後継者不足で廃寺だらけになってたかもしれませんね。
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