なぜインドで仏教は消滅したのか? | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

なぜインドで仏教は消滅したのか?

インドで仏教はなぜ滅亡したのか?


直接的には1203年に、密教の根本道場であるヴィクラマシラー寺院が
北インドのイスラム教政権の軍隊に破壊されて、
僧尼が殺されたことで急激に衰退していったとされます。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
インド仏教終焉の地、ヴィクラマシラー寺院跡。


これはむしろ最後の砦が崩れたのであって、
4世紀ぐらいから徐々に仏教の内部崩壊が起こっていたようです。

『密教経典・他』(中村元著・東京書籍)には、
教科書的な概略として、崩壊の背景が以下のようにかかれていました。



・支持層である商人階級の衰退

仏教はクシャーナ王朝(~3世紀)までは大変栄えたけれど、
その後のグプタ王朝(320~550年頃)は中央集権的で、商業活動を統制した。
またこの時代、西ローマ帝国が衰退・滅亡して、インドとの貿易が衰退、
いままでローマから膨大に流入していた金も途絶えた。
仏教教団は、王侯貴族とならんで裕福な商人の帰依・寄進で
成り立っていたので、商人の没落はダメージだった。
5世紀ごろからは異民族が侵攻して仏教教団を荒らすことも頻発。


・民衆に食い込んでいなかった仏教教団

当時の碑文などによると、仏教教団は寄進された土地からあがる小作料や、
寄進された現金を商人のギルドに貸し付けて得られる利子収入に頼り

民衆から離れて思想的遊戯にふける、という傾向があった。
寄進していた豪商らが没落して支援から手を引くと、僧院は荒れ、
グプタ朝時代に新たに建造される寺はほとんどヒンズー寺院という有様に。


・ヒンズー化

都市型インテリに人気があった仏教だが、
農村の一般大衆には相変わらずバラモン=ヒンズー教が深く根を下ろしていた
民間信仰のを取り入れる形で、仏教にタントラ(呪文や秘密の儀式)が入ってきて、
ヒンズー濃度の高い真言密教が成立した。
後期になると、仏教だかヒンズーだか見分けがつかない状態になっていく。



・易教化=なんでもあり

人間の感情や欲望を肯定する、ありのままで菩薩といった傾向が、
後期密教になると、単に「なんでもあり」に堕落していく。
とくに「男女の和合」を絶対視する民間信仰が入ってきて、
仏前で、部屋を暗くして秘密のうちに男女が和合し、
酒を飲む・肉を食う・怪しい薬を使うといった
乱交ドラッグパーティのような”儀式”をする教団もあった

たとえば10世紀以降にベンガル地方に現れた「サハジャ乗」
(サハジャ=生来)では、悟りは生まれつき備わっているもので、
美しい娘にたいする愛情が解脱への道である、などと説いている。


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最後期の仏教とヒンズー教の女神、ダーキニー。血肉を喰らい、裸でドクロの首飾り。

ダーキニーと秘密集会でSEXすることで悟りの境地に達するというおどろおどろしい信仰の形。


あの辛い「不邪淫=SEX禁止」を解かれるのですから、
お坊さんだって大喜びだったでしょうね。




・イスラムの侵攻

イスラムの侵攻後に時輪タントラ(カーラチャクラ・タントラ、
1027~1087年頃)が成立する。
仏教徒とヒンズーの神・シヴァ、ヴィシュヌが連合軍をつくって
イスラムに対抗するという内容で、インド密教におけるほぼ最後の経典。



そして、そもそもの原因として、
「仏教が合理的・哲学的であったために大衆にウケなかった」
ということを、中村先生も挙げています。


かくして、お釈迦さまは、ヒンズー教のなかで「ビシュヌ神の第9の化身」
として細々と生き延びることになるのです。


このような過程を見ると、悲しくなってきますね・・・・。
ですが、20世紀になって、インドのアンベードカル師が仏教を再興して、
佐々井秀嶺師がそれを引き継ぎ、カースト制度で差別されている階級が
仏教に改宗しています。
仏教の合理主義、平等思想が、現代になってようやく再評価されたわけですね。
お釈迦さまは、早すぎた、2400年ほど早すぎた。


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佐々井秀嶺師。後ろはアンベードカル師の肖像画。


それでも、2001年国勢調査でインドの仏教徒比率はたったの0.8%
あー、もったいない。



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