真言密教でヒンドゥー教濃度が最高値に(「大日経」) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

真言密教でヒンドゥー教濃度が最高値に(「大日経」)

本日ナナメ読みしたのは、インド仏教晩年の密教根本経典のひとつ
大日経』=正式名称『大毘盧遮那成仏神変加持経』です。
(おそらく7世紀にインドで成立。サンスクリット語の原典は散逸して残っていない。
漢訳=724年、7巻36品=やチベット訳は残っている)。


といっても、参考図書「密教経典」(中村元著・東京書籍)には、
少ししか大日経は引用されてなく、真言密教の解説がほとんどでした。


ひとつ、中村先生が体験した象徴的なエピソードが紹介されています。
インド大使館文化情報部長(バラモン出身)を、
成田山新勝寺の護摩の儀式にお連れしたら、こう感嘆されたそうです。
日本にヒンドゥーの儀式が生きている!」と。


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新勝寺の護摩の儀式。


つまり密教は、かなりの割合で、仏教以前のバラモン=ヒンドゥー教
がまじっている
、というわけです。
もちろん初期仏典にもバラモン的要素(帝釈天とか梵天とか)が
入っていますが、仮に混入率10%とすると、
時代と共に濃くなり、真言密教の7世紀~12世紀になると、
もう混入率70%ぐらいのヒンドゥー濃度になっているやもしれません。


どのへんがバラモン=ヒンズー教的だと中村先生が指摘されているかというと――
(以下は、基本的にインドの真言密教についてなので、
空海信奉者の方は怒らないでね)


<秘密の教え>である
  仏教以前は、バラモンだけが神と秘密の交信ができるとされた。
  密教も、大日如来の秘密の教えは、灌頂(頭に水をそそぐ儀式)を
  受けてない人には明かすことを禁じた。
  密教経典には「秘密(guhya)」という言葉が頻繁に出てくる。


・呪文、呪法
  インドには古来から「真実のことば」(satya サティヤ)は
  必ず効験の現れることばだと考えられてきた。それに対して、
  初期の仏教は、原則として呪文・呪法や占いを禁止した
  (原始仏典にもアーターナティア経など呪句が登場するが、
   ごく一部で、基本的にお釈迦さまはアンチ神秘主義)。  
だが、密教では真言(タントラ)≒陀羅尼≒呪文を
  唱えることがたいそう重要とされた。
  たとえば「仏頂尊勝陀羅尼」や「大随求陀羅尼」を唱えることで、
  病苦を離れて長生きできる、死後に地獄に生まれても極楽に
  転生できるetc.の効験が信じられた。
  (日本でも平安時代の貴族にもてはやされて、
   枕草子にも大随求陀羅尼が登場するそうです)

  
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梵字で書いた仏頂尊勝陀羅尼。呪文ぽいですねー。



・根本仏と化身
  釈迦如来は歴史上の人物だけれど、阿弥陀如来や薬師如来など
  いろいろな想像上の如来がクリエイトされていって、
  密教の大日如来に至っては「宇宙の原理」という”根本仏”が
  創造された。不動明王のように、さまざまな化身も創造された。
  発想としては、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神と10の化身と同じ。
  (絶対神と化身、という発想が、きっと人類は好きなんですね)
    
・護摩とマンダラ
  密教の儀式「護摩(ホーマ=炊く、焼く)は、
  仏教以前のバラモンの作法にそっくりである。
  また、古来インドでは象徴的な図形を神の象徴として尊ぶ習俗
  (yantora ヤントラ)があったが、密教のマンダラもそれに近い。


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「大日経」にもとづく胎蔵界曼荼羅。


結局のところ、
お釈迦さまのクールで身も蓋もない合理主義は、
大衆ウケしなかったのだと思います。
なので、時間とともに、呪術や神秘主義などバラモン=ヒンドゥー的な
民衆の信仰が混じっていって、最高に濃くなったのが密教なのでしょう

現代日本のスピリチュアルとか占いのブームを見ても、
やはり人は神秘的なほうが好きなんですよ。私は何の興味もないですがね。


いちおう仏教の看板を掲げているために、
「いや、お釈迦さまは呪術を認めなかった」などと批判されたりもして
うっとうしいので、もういっそ、「うちら密教は半分ヒンドゥーですから
と開き直るわけにはいかないんでしょうかね?
看板が仏教だろうがバラモン=ヒンドゥーだろうが、
その信仰体系の価値が下がるわけじゃないと思うのですが。


(そうすると、成田山新勝寺の不動明王の前で結婚式を挙げた
海老蔵ー真央はヒンドゥー式挙式となりますが別に問題ないですよね)


なぜ、このように仏教にヒンドゥーが混じっていったかという
歴史的背景については、また後日……。


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