「岐路に立つお寺 クローズアップ現代」は退屈だった
今日、NHK「クローズアップ現代」で、
「岐路に立つお寺 ~問われる宗教の役割~」という番組をやってました。
番組説明をNHKのHPからコピペすると以下の通り。
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「葬式仏教」と批判されて久しい日本の寺が追い詰められている。
都市への人口流出と檀家の減少、「直葬」に代表される宗教離れよって、
衰退してきた寺が経営難に陥り、数億円の負債を抱えるケースも出てきている。
原因は“墓ビジネス”の失敗だ。葬儀会社に「葬式」さえも奪わつつある寺が、
存続をかけてビル型納骨堂や巨大霊園を建設したものの、売れ残ってしまったのだ。
一方、危機的状況のなかで、信者の心の苦しみに寄り添う宗教の本分に立ち返ろうと、
自殺や高齢者の孤立の問題に向き合う僧侶も現れている。
岐路に立たされるお寺の現状を見つめ、宗教の役割と可能性について改めて考える。
コメンテーター:上田紀行氏
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クロ現の国谷さん。いいよね。
録画で見ましたが、正直なところ、面白くなかったです。
「仏教の危機」と「日本の寺院制度の危機」は全く別問題ですよね。
「この混迷する時代、いよいよ仏教が求められているのではないでしょうか」
といったお話は、当たり前というか、そうに決まっている。
仏教という思想自体は、全然、危機ではないと思います。
問題は、日本のお寺・お坊さんが、何で食っていけばいいか。
葬式に替わるシノギを何にすればいいか、ということではないのかしら。
これは、堕落でも何でもなく、とても切実な話だと思います。
「現代人の心の苦しみに寄り添い」たいお坊さんだってたくさんいるはずです。
でも、それじゃ生活費は稼げないでしょう?
立派な行為だからって寄進するほど、衆生の財布のヒモは緩くないです。
衆生相手に商売してる人なら誰でもよくわかっているはず。
お坊さんの素晴らしい法話や行為に人々が払うのは、
せいぜい1時間2000円が限度で、戒名代ほどのシノギにはならないでしょう。
そして、何で食うか悩むのは、別に寺院の堕落ではないと思います。
2000年前のインドの僧院でも、僧の財産や寄進の分配など、
「いかにして僧が食うか」でモメてきたというのですから。
いつだって、お坊さんは霞を食って生きてきたわけではないんです。
(というのは、今読んでいる本の受け売り。
「根本説一切有部律」は、お金にまつわる規定が山ほどある。
これについては後日・・・)
また、かつて僧院に寄進が集まったのは、
「寄進すれば地獄に堕ちないですむ」という
輪廻由来のモチベーションがあったからではないでしょうか?
自分の利益にならないことに、衆生はお金を払いません。基本的にはね。
いまは、その輪廻モチベーションも壊滅状態である。
日本国が思想的公共事業として長らく推進してきた仏教ですが、
いまは国の援助も「宗教法人の税制優遇」ぐらいしかない。
江戸幕府が住民管理に利用してきた「檀家制度」も壊れてしまった。
ハシゴをはずして、「あとは自力で食べていって」と言われても無理だよね。
私はその点で、日本のお寺に、同情を禁じえないのです。
ああ、いま現在、不飲酒戒を破っているので、書き飛ばしています。
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