初期仏典はなぜ無視されてきたの?
昨日、出たばかりの『超訳・ブッダの言葉』(小池龍之介著・ディスカバー21刊)
100万部祈願と書きましたが、別に小池さんのファンというわけではなく、
100万人レベルで初期仏典=阿含経典がヒットしてほしいとの思いがあるわけです。
信者人口でいえば、日本では浄土真宗(阿弥陀信仰)と創価学会(法華経)が
多いのだと思いますが、
初期仏典は仏教伝来から1300年以上のあいだ、無視されてきました。
その理由について、「日本に伝わった大乗仏教は、それ以前の仏教を
小乗仏教として蔑視してきたから」という説明がよくされます。
でも、それって具体的にどういうこと?
『阿含経典』(増谷文雄訳・筑摩書房刊)1巻の前書きで
増谷先生は以下のように書いています。
「もっと具体的に言うならば、かの天台智顗(-597、60歳寂)の
<五時の教判>なるものの圧倒的な影響力によるものと考えられるのである」。
天台宗を確立した6世紀中国の高僧・天台智顗は、
『天台四教儀』の冒頭で、お釈迦さまの説法を5つの段階に分けて
いるそうです。以下、増谷先生の解説から抜粋。
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1 華厳時 37日(菩提樹の下で悟りを得てからの37日)
「華厳経」を説く
2 鹿苑時 12年 「四阿含経」を説く
3 方等時 8年 「維摩経」「勝鬘経」など諸大乗経を説く
4 般若時 22年 諸般若経を説く
5 法華・涅槃時 8年
8年「法華経」を説き、1日1夜にして「涅槃経」を説く
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お釈迦さまは悟りを開いてから37日間のあいだ、
「華厳経」を説いたけれど、あまりに高尚で人々にわからなかったので、
レベルを下げて12年間「阿含経」(初期仏典)を説き、そのあと中級者・
上級者むけに「般若経」「法華経」など大乗仏典を説いた、というのです。
「とするならば、いまいうところの阿含経なるものは、
釈尊が無智鈍根の人々のために、その教説の程度を下げて、
卑近にして具体的な教えとして説かれたものだということになる」(BY増谷先生)。
つまり、初期仏典はバカ向けの初級用仏典とされてきたんですねぇ。
中国仏教と、それを輸入した日本仏教で、初期仏典は最近までまったく
無視されてきたのは、天台智顗の影響力によると増谷先生は書いています。
法然・親鸞・道元・日蓮ら、日本仏教オールスターズが
みんな天台宗の比叡山延暦寺OBなのだから、
影響力が大きいのはむべなるかなという気もします。
天台智顗さん
そして、ずっと時代が下って、1800年代後半にヨーロッパの
仏教学者たちがパーリ語の初期仏典を研究しはじめ、
ようやく日本でもその存在に気がついたのだそうです。
天台智顗さんがいう上記の「5段階」は、
今となれば、まったくのフィクションだとわかります。
お釈迦さまの死後、最初に編纂されたのが「阿含経」で、
何百年か経ってのちに「華厳経」「般若経」「法華経」
などが書かれたわけですから。
死後数百年後に書かれたこれらのお経を「成道後の37日間に説いた」
とかいうフィクションが、その後の初期仏典の不当な扱いに
つながったのだとすれば、天台智顗さんに文句のひとつもいいたくなります。
ところで、不勉強でわからないのですが、
空海さんや親鸞さんや道元さんたちは、阿含経典を読んでいたのでしょうか?
読んで「やっぱりバカ向けの初歩経典だよね」と打ち捨てたのか、
それとも読んだこともないのか、まさか存在さえ知らなかったのか、
そのあたりの記録は残っているのでしょうか?
ご存知の方がいたら教えてください。
