正直、「菩薩道」がわからない(勝鬘経)
「勝鬘経」のお話の続きです。
これは本当に、日本人の持つ仏教イメージにぴったりの
内容が揃っていて感心しました。たとえば
・どんな衆生も見捨てず、身を挺して救済することを誓う
(2 十大受章の後半)
・功徳を積んだ勝鬘夫人に、「あなたは仏になって
苦しみも老いも病もない仏国土に行ける」と仏が約束する
(1 嘆仏真実功徳章)
・煩悩まみれの衆生も、実は如来の性質を備えている
(7 如来蔵章)
「日本仏教の背骨をつくった」と中村元先生が言うのもうなづけます。
「十大受章」は勝鬘夫人がお釈迦さまに10個の誓いをたてています。
よこしまな心をおこさないとか、嫉妬心を起こさないとかは、
うんうんと思いながら読めます。
ですが、6つ目の誓いを読んで、「無理!」と思ってしまった。
「自分のために財物を蓄えず、すべて貧苦の衆生を救済することに使う」。
これは絶対無理だわ。
6以降は「衆生のため」の連呼で、大乗的な菩薩道が前面に出ています。
もし動物を捕まえるなどの悪事をはたらいている人がいれば、
こらしめに行って仏道を説いて折伏するとも誓っています。
そこで思い出されるのが、勝鬘夫人のお母さん、マッリカー夫人のことです。
マッリカー夫人は、「自分より愛しいものはない」と言い切った女性です。
その有名な場面は、パーリ語仏典「サンユッタ・ニカーヤ」に登場します。
マッリカー夫人と国王パセーナディ(つまり勝鬘夫人の両親)が
宮殿の上で涼んでいるとき、国王が夫人に
「そなたは自分より愛しい人が誰かいるかね?」と聞きます。
亭主としては、「あなたのほうが愛しいわ」というラブトークを
期待していたのです(とは中村説)。
ところがマッリカー夫人は、
「私には自分より愛しい人はいません」とシレッと言ってのけます。
かっこいいね。
で、国王はお釈迦さまのところにいって、上記の顛末を話します。
うちの嫁が冷たくてさぁ・・・とボヤキに行ったわけです(想像)。
そしたらお釈迦さまは、
「あなたも自分が一番愛しいでしょ? 他人もそうなのよ。
だから、自分のために、他人を害してはいけないよ」と答えるのです。
自己愛と利他が矛盾なく説明された名言だと思います。
このマッリカーママと、娘の勝鬘さんを並べてみると、
初期仏教→大乗への変化がよくわかるなぁと思いました。
私自身は、マッリカー夫人の言葉は実感できます。
ですが、告白すると私は「菩薩道」がまだピンとこないんです。
路上で寝ている人に「寒いからウチに泊まりませんか?」と
言ったこともなければ、ユニセフに高額寄付をしたこともない。
心の底から「衆生のために」と思ったことってありますか?
派遣村村長で一躍有名になった湯浅誠さんという人がいますね。
20年も前から、路上生活者がアパートに住めるように
自ら数百人の保証人になったりしてる人ですが
その湯浅さんがこう言っていました(アエラ 10年8/9号)。
「人々を救おうと思ったことはない。
私が、こういう社会が嫌なんです」
「だから、みんなでかわいそうな人を助けましょう、
と呼びかける気はあまりないんです」
自身も生活保護以下の収入だったらしい。
などとツラツラ考えていたら、
菩薩道の素晴らしさについて私なりに腑に落ちる考えがふと浮かび・・・
続きは後日・・・かどうか自信がありませんが。
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