女だって説法できるんです? 「勝鬘経」
相変わらず移動中に中村元講演テープ「こころをよむ仏典」を聴くしか
仏教タイムの取れない日々が続いております。
これから読む予定の大乗仏典の予習の意味もあるのですが、
本日は『勝鬘経』こと『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』。
国王の妃である勝鬘夫人(しょうまんぶにん)が仏道を説いて、
それをお釈迦さまが褒めたたえるという創作文藝作品です。
中村元先生の「日本の仏教を方向づけた仏典のひとつ」との
解説にびっくり。だって、在家の、しかも女性が説法するという、
お経のなかではレア中のレアものですから。
聖徳太子が書いたとされる日本初の仏典注釈書は
『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)ですが、その三経とは
「法華経」「維摩経」「勝鬘経」なんですよね。
法華経は大メジャーですが、維摩経は在家の説法、
勝鬘経は在家かつ女性ですから、日本の仏教はかなり特殊な
スタートを切ったと言えるのかもしれません。
(ただし聖徳太子が書いたかどうかは定かでなく、
中国から輸入したという説もある)
でも法隆寺に「般若心経」の写本があるぐらいだから、
三経に「般若心経」を入れるほうが自然じゃないですかね?
そこで、中村先生の「聖徳太子時代は女帝の推古天皇だったことも
影響している」という解説を聴き、ははーん、と思ったわけです。
以下は私の勝手な推測ですが、
聖徳太子さまは戦略的に「勝鬘経」を選んだのでは?
よく言われるように、日本が仏教を受け入れたのは、
世界(当時は中国・朝鮮)と対等につきあう文明国となるために
スタンダードな先進思想である仏教を取り入れなきゃいかん、
という政治的背景があったわけですよね。
仏教派の蘇我馬子&聖徳太子コンビは、
グローバルスタンダード派の小泉純一郎&竹中平蔵コンビ
みたいなものかもしれません。
そして、我が国本来の神々が怒るという”守旧派”の物部氏と
血で血を洗う闘争をくりひろげ、
仏教をめぐる殺戮という矛盾はさておき仏教派が勝利します。
その蘇我馬子が、コントロールしにくい崇峻天皇を暗殺して、
担ぎ出したのが女性の推古天皇です。
日本初の女性天皇ですよ。とうぜん反対派だっていたでしょう。
その推古天皇に「僕らが輸入した仏教って素晴らしいでしょ?」
と知らしめ、女帝反対派には「女も捨てたもんじゃないでしょ?」と
知らしめるうえで、「勝鬘経」はうってつけだったと思うのです。
ぜんぶ推測ですので、間違ってたらすいません。
馬子は剛腕悪党のイメージが長年ありましたが、
最近の研究では世界情勢を熟知した先進的な人だった、
とNスペかなんかでやってました。
かんじんの「勝鬘経」の中身ですが、衆生への慈悲が炸裂しており、
たしかに日本仏教のイメージにぴったりきます。
このつづきは、後日・・・。

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