仏教版・世界の崩壊ー再生ものがたり(世記経「三災品」)
阿含経典「長阿含」におさめられた「世記経」には、
ほかの部分には記述の少ない初期仏教の世界観……というより
当時のインドの世界観・宇宙観が書かれていて面白いです。
世記経「三災品」も、その最たるもので、世界の崩壊ー再生に関する
荒唐無稽な大スペクタクルが展開されます。
(それはアビダルマ論書や大乗の論書にひきつがれ、
三災を論じたものは多いそうです)
以下は、『現代語訳 阿含経典 長阿含』6巻の、
末木文美士先生の解題より引用・抜粋です。
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インド人の世界観では時間は一方的に流れるものではなく、
永遠ともいえる長い周期をもって繰り返されていく。
通常「四劫」と呼ばれる4段階で、
繰り返しの1サイクルが構成される。
1.壊劫=災害が起こって世界が崩壊する時期
2.空劫=世界が崩壊したまま何もない時期
3.成劫=世界が再び形成されていく時期
4.住劫=世界が形成されてから持続する時期
『倶舎論』などによると、各段階は20劫ずつ続くとされ、
つまり1サイクル80劫(一大劫)。
(1劫・・・1辺1由旬=7~14kmぐらい=の立方体の石を
天人の衣で100年に1回なで、その石が摩滅するよりも
もっと長い時間・・・っていったい何万年なの?)
このように、とんでもない長さのサイクルで世界は崩壊ー再生する。
「三災品」で述べられるのは、
このうち(1)壊劫に起こる3つの災害=火災・水災・風災と、
(3)成劫で起こる世界の回復の過程である。
本経では、この三災の発生の過程をこと細かに記している。
<火災が起こるとき>
この世界の初禅天以下の衆生は、第2禅をおさめて、
みんな光音天に生まれ、それ以下の世界は空っぽになってしまう
↓
そこに大暴風が吹いて海水を2つに押し分け、
海底にある太陽の宮殿を取り出して上空に持っていき、
順次に太陽が7つまで増える(!!)。
↓
光音天より下のものはすべて焼かれてなくなってしまう。
↓
虚空に巨大な雲が生じて大雨を降らせ、大洪水になる。
↓
水が減りながら、徐々に水面の泡が固まって世界ができていく
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ね、荒唐無稽でしょ?
村上春樹の『1Q84』では月が2つでしたが、こっちは太陽が7つですからね。
いろんな宗教には、創世記とか国つくり神話があるものですが、
この三災品は似て非なるもの。印象的なところをメモっておくと
・主体がいない自然現象
神が怒って災害を起こしたり、モーゼが逃げようとしたら海が割れて
道が現れる、といったようなことではない。
たとえば「海を割って、海底の太陽を取り出して太陽軌道に置く」
というのも、誰が取り出したのか主体は書いていない。
・善いことをしたのに災害で世界崩壊
たとえば火災が起こる前、正しい教えを実践した人が、
「身を躍らせて虚空に昇り」、「皆さん、第2禅は楽しい」と叫びます。
それを仰ぎみた人たちが、「私たちにもどうか第2禅の修行を説いて」
と言って、みな正しい行いをして、死んで光音天に生まれます。
で、地獄~人間界~梵天まで、誰もいなくなって消滅したところで
火災が起こるのです。(水災・風災も同様)。
これは、人間の愚行に怒った神様が洪水を起こす「ノアの箱舟」とは対照的。
世界が悪くなって崩壊するのでなく、善行のあと崩壊・・不思議ですよねえ。
・被害者がいない
みんな善行を積んで光音天に行ってしまい、空っぽになった下界で
災害が起こるので、誰も被災者はいない。平和だなあ。
・ときどき挿入される「無常」の教え
善行を積んだあと災害が起こるんじゃあ、「ノアの箱舟」的な
「バチが当たる」的な宗教説話としては機能しないわけです。
ですが、
上記のような大災害の記述の合間に、次のフレーズが繰り返し挿入されます。
「こういうわけでわかるのだ。
すべての作られたものは無常で、変化して壊れ、頼りにならない、と。
形成された一切の存在ははなはだ疑わしい。
世俗を超えて解脱する道を求めなさい」。
無常の例にしちゃ仕掛けが大掛かりすぎないかい?とも思いますが、
当時のインドの一般的な通念や、神話を取り込んで、
仏教の教えに絡めることは多いので、これもその例なのでしょう。
ちなみに、「世記経」の最良の入門書として
『須弥山と極楽 -仏教の宇宙観-』 (講談社現代新書、定方晟著)が
あげられていました。安いし手に入りやすいし。
私も以前読んだときは目が点になったのですが、
もう一度読み直してみようと思います。
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