お釈迦さまはハンサムだった・・・か(『阿含経典』種徳経ほか)
ほそぼそと読み続けている初期仏典『現代語訳 阿含経典 長阿含経』
(平河出版社)の全6巻のうち、ようやく5巻に入りました。
◆『梵動経』(長阿含・第21経)
お釈迦さま時代に生まれた、さまざまな他の新思想、いわゆる「外道」
についての分析。彼らはいろいろ言っているが、要は62種類に分類され
(外道の六十二見)、それらは間違っていますよ、というお経。
外道については、同じ本に有名な「沙門果経」が入っているので、
あとにゆずるとして・・・・でもこの当時のインドは本当にすごい。
その六十二見は、「自我と世界を永遠と見るかどうか」
「死後に想念があるかどうか」といった観点で分類されているのですが、
こんな形而上的なことを考えた人たちがたくさんいたというのは、
まさに新思想の大爆発期です。
(日本では縄文時代から弥生時代に以降するかどうかというBC500年頃
のことですからねえ)。恐るべし古代インド。
◆『種徳経』(第22経)『究羅壇頭(くらだんず)経』(第23経)
バラモンの種徳や究羅壇頭が、お釈迦さまの対話の相手となり、
いかにお釈迦さまがすばらしいかが列挙されます。
その美点とは、
・生まれが正しく他人に非難されない
・容貌が端正で、クシャトリャ階級の出身である
・戒を備え、智慧が完成している
・おだやかで上品なことばを巧みに使っている
・欲望、憂い、恐怖を滅しており、にこやかで、
人の美点をほめ、業報を説き、外道を非難しない
・弟子から王から梵天、鬼神にいたるまで いろんな人に尊敬されている etc
ほぼ完全人格です!
でも面白いのは、2つのお経ともに美点の2番目くらいに、
「容貌が端正」と書いてあること。
どうやら、お釈迦さまはハンサムであったようです。
というか、当時は優れた人格の条件としてハンサムかどうかが重要だったようです。
(というと、現代の価値観に照らして「造形的なハンサムではなく
内面の美しさがにじみ出た」云々という反論が出そうですね。
でも、なんでも現代の尺度を当てはめるのは過去への冒涜だと私は思っていて、
たぶん当時は本当に「造形的に端正」なことが理想人格の条件であったのではと
思います。あくまで仏教思想とは別の、一般通念として。)
あの時代のインドは、どんなのがハンサムだったんでしょうか?
お釈迦さまを含め、支配階級はアーリア人だから、
ヨーロッパふう白人顔に、原住ドラヴィダ系のカラードが
多少まじったようなかんじか・・・?
映画『リトル・ブッダ』(ベルトリッチ監督)で、
お釈迦さま役はレバノン系カナダ人のキアヌ・リーブスだったのは
それなりに筋が通っていたのかも。
キアヌのお釈迦さま
こんなにハンサムだったら、ますますお釈迦さまに惚れてしまうな。
お叱りのコメントには、あらかじめ謝っときます。

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