狂人の罪は罰せられない(『ミリンダ王の問い』その7) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

狂人の罪は罰せられない(『ミリンダ王の問い』その7)

『ミリンダ王の問い』(東洋文庫)第2巻、いまひとつピンと来ないので
ついキワモノの章に目が留まってしまいます。


第2編第5章「狂人の罪は罰せられない」。
これもなかなかキワモノでしたよ。


お釈迦さまが前生で、女にトチ狂い、動物を生贄として大量殺戮、
その生き血を飲む大宴会をやった
、という話が出てくるのです。

あらまぁ、お釈迦さま、そんなやんちゃな前生があったの?
前生物語(ジャータカ )に出てくるエピソードなのですが、
あまりの長さにジャータカを読んでない私は、初耳でした。
(No.433 Lomasakassapa-jataka)



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  壮大なる仏教文学ジャータカ。


ミリンダ王は、こんな矛盾を突いてきます。


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尊き師(=お釈迦さま)はこう説かれました。
「わたしが前生において人間であったとき、
わたしは生きとし生けるものを害うものではなかった」。


しかるにまた、尊き師は「<わたしが>ローマサカッサパ
名づける仙人であったとき、幾百の生類を殺戮して、
”勝利の酒”というソーマの大供犠祭を営んだ」と言われました。


(→「どちらかがウソなのか?」とミリンダ王は問います)

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ナーガセーナ長老は、「両方ほんとです」と認めます。


そこでミリンダ王は、「生類を殺す人の8パターン」を挙げます。
1.愛着する者は、貪りのために生類を殺す
2.怒る者は、怒りのために殺す
3.愚昧の者は、迷妄のために殺す
4.高ぶる者は、高慢のために殺す
5.強欲の者は、貪欲のために殺す
6.無一物の者は、生計のために殺す
7.愚か者は、冗談に殺す(愉快犯ですね)
8.王は、禁令のために殺す(死刑ですね)


痴情のもつれから死刑まで含んで、卓見だなと思います。
が、お釈迦さまの前生=ローカサマッサパの動機は、
8つのどれでもない、と長老は言います。


ではなぜ殺したか?
「自覚がなかった」つまり現代で言えば「心神喪失状態」、
なかば狂人だったから罪はない、と釈明するのです


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(この前生のお釈迦さまは)王女チャンダヴァーティを見るや否や、
心乱れ、錯乱し、愛染しました。常軌を逸し、動乱した心をもって
(殺戮して血を飲む大供犠祭をやらかしたのです)。


錯乱心によってなされた悪は、現在においても大罪とならず、
未来に生ずる果報に関しても、大罪となることはありません。


狂人の行為にたいしても、咎はありません。
それは許されるべきものです。

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「心身喪失で責任能力なし」、現代の刑法39条ですわ。面白いですね。
ですが、この考え方は他には出てこないので、
「仏教思想の正統な見解ではない」と注に書かれています。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  お釈迦さまの前生がサルの時代もありました。


前生とはいえお釈迦さまが生き血で宴会したとはショック…
なんてことは、ぜんぜん思いません。当然ですが。
だって「ジャータカ」は創作文学、作り話ですもの。


お釈迦さまを神格化するための物語なら、
前生も常に善人・善動物という設定にするのが普通ですよね?
なのに(キワモノとはいえ)
王女にトチ狂って錯乱したエピソードを入れたのが逆に面白いな、と。
何億年ものあいだ、ウサギやらオウムやら水牛やら半狂人やらを
輪廻する物語ーーインドの過剰というか、仏教の懐の深さというか。


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