遊女は言う「カネを払えば人は平等」(「ミリンダ王の問い」2巻ー1) | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

遊女は言う「カネを払えば人は平等」(「ミリンダ王の問い」2巻ー1)

ずいぶん前に『ミリンダ王の問い』(東洋文庫、平凡社、3巻組)
の1巻を読み、今ようやく2巻を読み始めています。


これは紀元前2世紀にインド北部を支配したギリシア人の王様
ミリンダ王(メナンドロス)と、仏教者・ナーガセーナ長老との対話です。
ギリシア的合理主義をもって激しくツッコミを入れるミインダ王に対して、
長老がどのような答えを返すかという白熱教室でありまして、
仏教教義を理屈で語ったものとして一部に大いなるファンがいる書物です
(「ミリンダ王問経」というお経です)。


1巻と比べて2巻は神話度・奇跡度・非合理度が高くなっている印象。
「おへそを撫でると妊娠する」(第二編第二章)など、
ほんとにこれでミリンダ王は納得したんかいな?と思うような
部分もあります。


奇跡に関する面白い記述があったのでメモしておきます。


ビンドゥマティーという遊女が、群集の見ている前で、
ガンジス川を逆流させた」というのです(第二編第一章)。
ミリンダ王が「原因なくして物理的な変化は起こせない」というのに対し、
ナーガセーナ長老が「真理の力で物理的変化は起こせる」と説く
事例の一つとして出てきます。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  この大河を逆流させた遊女の「真理」とは!?


では、遊女=高級娼婦のビンドゥマティーが知っていた真理とは何か?
これが最高なんですよ。


==================================


王は問う。
「どうしてお前に真実の力があろうか?
 お前は盗人、自堕落者、不真実者、放埓者、罪深い者、
 目のくらんだ愚か者から財を奪う者ではないか!
 (中略)
 お前にいかなる誓言があるのか?さあ私に聞かせてくれ」


「大王よ、わたしに財を与えるものはクシャトリャでも、
 バラモンでも、ヴァシュアでも、シュードラでも、
 あるいは他の誰でも、わたしは彼らにたいして、平等に仕えます
 クシャトリャだからといって<尊敬して>区別しません。
 シュードラだからといって軽蔑しません。
 わたしは親愛と嫌悪の念を離れて、財を所有する人に仕えるのです
 大王よ、これがわたしの誓言であって、それによって、
 わたしはこの大ガンジス川を逆流させたのです」と。

              

                        (中村元・早島鏡正 訳)

==================================


つまりカネさえ払えば身分は関係ない、アタシはプロ娼婦として明朗会計だと。
このことが、仏教者・ナーガセーナ長老によって「真理」として語られるわけです。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ 仏教でもっとも有名な遊女・アンバパーリーの偉人マンガ。

                         お釈迦さまにマンゴー林を提供。


「財を所有する人に仕える」というのは、
今でこそ銭ゲバの拝金主義のように思われます。
ですが「カネの前では誰でも平等」というのは、
奇跡を起こすほどの真実
だったわけです。理由なき身分社会より、よほどマシですからね。


そもそも、中世から近世に移るときに
西欧社会が「自由」「個人」「人権」のような概念を生んだ背景は、
とりもなおさず「貨幣経済」や「私的所有」があったのだと、誰かが書いてました。
俺の財産は俺のもの、誰にも奪われる筋合いはない」という考えがなければ、
「個人の権利」という概念も生まれることはなかった、と。


紀元前2世紀という大昔に書かれたインドのお経に、
その真理が登場したことに、いたく感心した次第です。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

ミリンダ王の問い―インドとギリシアの対決 (2) (東洋文庫 (15))