ニーチェ御大、仏陀を天才と呼ぶ 『悦ばしき知識』
ニーチェの本が、またも売れているようですね。
ベストセラー『超訳ニーチェの言葉』は、内容もさることながら、
版元の販売戦略がとてもドラスティックなので、他社で出しても
売れなかった気がしますが・・。
わたしは、ニーチェの著作は2冊ぐらい挫折して諦めた組ですが、
仕事上の必要があって『悦ばしき知識』を買いました。
これ、おすすめです。
短い断章を集めたもので、他のよりはわかりやすい。
有名な「神は死んだ」も、これに出てきますし。
ニーチェは、仏教にシンパシーを持っていましたよね。
オルデンベルグ著の釈尊伝『仏陀』を読んでいたそうで、
ニーチェの「永劫回帰」は、仏教の輪廻観も影響している、とよく言われます。
手元の『悦ばしき知識』の中で、お釈迦さまが出てくる節をメモしました。
メモるだけで、解釈はせず。ニーチェ諦め組がおこがましいですから。
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宗教の起源について。
――宗教の開祖らの本来の発明に帰せられることは、
第一に、意志訓練の効果をもたらすと同時に倦怠を除き去るような、
一定の生活法や日常習慣の方法を拵えて(こしらえて)やることである。
次には、こうした生活に一つの解釈を与え、
それによって生活が至上の価値にくまなく照り輝いて見えるようにさせ、
かくして今や生活をば、
そのために人々が闘いもし場合によっては生命を投げ出しもするような、
一個の貴重物にしてしまうことである。
(中略 ここでイエスについての言及があり)
同様に仏陀も、こうした種類の人間たちを、
つまり怠惰のゆえに善良で温順な(とりわけ叛意のない)、
同じく怠惰のゆえに禁欲的でほとんど無欲の状態で生きている人間たちを、
しかもそれが彼の種族のあらゆる身分と社会階層にわたって
散らばっている様を、見出した。
こうした種類の人間たちが、その否応ない「惰性の力」によって、
どんなに不可避的に、浮き世の憂苦(すなわち労働や営為一般)の
輪廻を防止すると約束するような信仰へと、
転がり込まざるをえないかを、仏陀は理解した、
――この「理解」に、仏陀の天才があった。
自分たちが同類であることを未だ認識していなかった人間たちに
共通な一定の平均的心性について、間違いない心理学的な知識を
もっているのが、宗教の開祖の特徴である。
宗教の開祖とは、こういう人間たちを糾合する者なのだ。
(『悦ばしき知識』ちくま学芸文庫 信太正三訳 P389~390)
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それから、こんな記述も。
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薫香。――仏陀は言う、「汝の施与者におもねるな!」
この金言をキリスト教の教会の中でも倣い誦するがよかろう。
たちどころにそれはあらゆるキリスト教的なものの空気を浄化する。
(同上。P233)
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南伝仏教の出家僧の律では、今でも、托鉢で食物を施してくれた人と
目を合わせてはならず、お礼を言うなどもってのほか、らしいです。
感謝も執着のひとつだから。