お釈迦さま、開き直る(阿含経典その14)「多くの娘」
いや、お釈迦さまが開き直ったかどうかわかりませんけども、
私がそう感じて微笑しただけなのですが・・・。
それは『阿含経典』増谷訳・第4巻、
「多くの娘」(相応部7、10「婆富提低」/雑阿含44,21「失牛」)というお経です。
パーラドヴァージャ姓のバラモンがいまして、
飼っていた牛が14頭も行方不明になって困っていました。
バラモンなのに、生活苦と世俗の苦労にまみれているんです。
で、お釈迦さまが安らかに瞑想しているのを見て、
「あんたは苦労知らずでいいよね」とばかりに、
詩歌で延々とグチをこぼすのです。
(増谷先生も「微苦笑を催す」というぐらいに。
四姓の一番上なのに、貧乏バラモンなんですね~)
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「この沙門には、14頭の牛を見失い、
今日まで6日のあいだ探しても
見つからぬようなことはないのだろう
だからこそ、この沙門は安楽なのだ」
「この沙門には、米倉が空っぽになって、
ねずみがしきりとその中で
跳ね回るなどということもないだろう
だからこそ、この沙門は安楽なのだ」
さらに、
娘が7人もいてみんな子供を抱えてるのに寡婦だ、とか
寝ているとシミだらけのババァがやってきて足で蹴飛ばす、とか
朝から借金取りが来て返せ返せと責め立てる、とか並べて、
「そういうことがないから、あんたは安楽なんだ」と
お釈迦さまに当てこすりを言うわけです。
それに対して、お釈迦さまがどう反論するか?
どんな巧みな比喩を使うのか?
ところが、お釈迦さまが使った手法は反論ではなくて
「完全なオウム返し」なのです。
「バラモンよ、私には、14頭の牛を見失い、
今日まで6日のあいだ探しても
見つからぬようなことはないのだ
だからバラモンよ、私は安楽なのだ」
というふうに、
すべてのグチをオウム返しにして、
「はい、私にはそういう苦労はないですよ。それが何か?」と。
現実でも似た場面はありえます。例えば、会社が潰れそうだとする。
それに対して「やるだけやって潰れたらしょうがないじゃん、
形あるものはすべて滅びるんだし…」とつい言ってしまったとします。
(実際は言いませんけどね、どうも私は顔に出ているようです)。
すると同僚からは、
「養ってる家族がいないからそんなこと言えるんだ」
「住宅ローンがないから言えるんだ」
「やる気ががないから言えるんだ」と反発必至です。
そういうときは開き直って、
「はい、ローンがないから言えるんです」などと
全部オウム返しすればいいんだな、と勝手に得心しました。
ちなみに、このお経では、
貧乏バラモンはお釈迦さまの言葉に感動して出家、
「ひとり静かに隠れ住んで」しまいます。
借金は踏み倒したんでしょうかね。
さて、これでいちおう
『阿含経典』増谷訳4巻を、読了しました。面白かった。
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