八正道って何をすればいいの?(阿含経9)「分別」 | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

八正道って何をすればいいの?(阿含経9)「分別」

お釈迦さまが、悟りにいたる8つの実践道を説いたのが、
「八正道」ですよね。
すなわち
「正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」。
仏教の基本中の基本ですが、よくわからなくありません?


仏教解説書とかを読むと、
「正見=正しく四諦の道理を見ること、正思=正しく思惟すること…」
などと書いてあるのですが、
そこんとこもう少し具体的に説明してくれませんかねえ?と思っていたのです。


つまり何をしろというのか? と。

「阿含経典」増谷訳・第3巻にも、八正道についてのお経が
まとまって載っているのですが、ほとんどは具体的に書いてありません。
ですが、ありました。やや具体的なお経が。


「分別」(相応部 45,8 分別/漢訳にはないのかな?)というお経です。

お釈迦さまが、比丘たちに「八支の聖なる道を分析してみよう」と
説きはじめます。


いかなるを<正見>というのであろうか。XXXXX。
これを名づけて正見というのである

という形で、解説しているのです。

これは見逃せないね!冷蔵庫に貼っておこうと思います。

以下、XXXXにあたる部分を、増谷訳から抜粋します。


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「分別」より抜粋


<正見>
苦なるものを知ること、苦の生起を知ること、
苦を滅することを知ること、苦の滅尽にいたる道を知ることがそれである。


<正思>
迷いの世間を離れたいと思うこと、悪意を抱くことから逃れたいと思うこと、
他者を害することから逃れたいと思うこと、
他者を害することなからんと思うことがそれである。


<正語>
偽りの言葉を離れること、中傷する言葉を離れること、
そ悪な言葉を離れること、
および雑穢(ぞうえ)なる言葉を離れることがそれである。


<正業>
殺生を離れること、与えられざるを取らざること、
清浄ならぬ行為を離れることがそれである。


<正命>
よこしまの生き方を断って、正しい出家の法を守る


<正精進>
いまだ生ぜざる悪しきことは生ぜざらしめんと志を起こして、
ただひたすらに、つとめ励み、心をふるいおこして努力をする。
あるいは、
いまだ生ぜざる善きことを生じせしめんがために志を起こし、
ただひたすらに、つとめ励み、心をふるいおこして努力をする。


<正念>
わが身において身というものをこまかく観察する。
熱心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、
それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。


<正定>
もろもろの欲望を離れ、なお対象に心ひかれながらも、
それより離れることに喜びと楽しみを感じる境地にいたる。
これを初禅を具足して住するという。


だが、やがて彼は、その対象にひかれる心も静まり、
内浄(きよ)らかにして心は一向(ひとむき)となり、
もはやなにものにも心ひかれることなく、
ただ三昧より生じたる喜びと楽しみの境地にいたる。
これを第二禅を具足して住するという。


さらに彼は、その喜びをもまた離れるがゆえに、
いまや彼は、内心平等にして執着なく、
ただ念があり、慧(智恵)があり、楽しみがあるのみの境地にいたる。
これをもろもろの聖者たちは、捨あり、念ありて、楽住するという。
これを第三禅を具足して住するという。


さらにまた彼は、楽をも苦をも断ずる。
さきには、すでに喜びをも憂いをも滅したのであるから、
いまや彼は、不苦・不楽にして、ただ、捨あり、念ありて、
清浄なる境地にいたる。
これを第四禅を具足して住するという。


もろもろの比丘たちよ、これを名づけて正定というのである。


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「不苦・不楽の清浄なる境地」。
死ぬまでに行けるかしら?


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