釈尊自身が悟りの瞬間を語った「城邑」 (阿含経典 その3)
お釈迦さまの悟りの瞬間はどんな感じだったのでしょう?
それをお釈迦さま自らが回想するという、
釈迦ファン垂涎のお経が存在するんですね~。
「城邑」(Nagara)というお経です
(パーリ語相応部12、65/漢訳雑阿含経12、5)。
詳しい方は知ってるのでしょうが、
私は去年別の本で読んで感動し、
今回、増谷幸雄訳『阿含経典』1巻にも登場したので
長めにメモしておこうと思います。
「なぜ苦しいのか」を何年も何年も考え続けた末に、
「わかった!」という法悦の瞬間がリアルに描かれています。
まずお釈迦さまは、
辛い修行時代のことを弟子たちに語り始めます。
「比丘たちよ、むかし、わたしは、まだ正覚をえなかった
修行者であったころ、このように考えた。
<この世間はまったく苦の中に陥っている。
生まれては老い衰え、死してはまた再生する。
しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。
まったくどうしたならば、この老いと死の苦しみを出離
することを知ることができようか>と」。
そして菩提樹の下で・・・
「比丘たちよ、その時、わたしには正しい考え方によって
智慧による悟りが生まれてきた。
<生があるゆえに老死があるのである>と。」
このひらめきから「ではなぜ生があるのか」と
矢継ぎ早にさかのぼっていったお釈迦さまは、
ついに「老死→生→有→取・・・名色→識」という
苦の根本原因、つまり縁起を発見(発明?)するのです。
(※このお経では、行・無明のない十支縁起)
「これがすべての苦の集積のよりてなる所以である、と」
「比丘たちよ、<これが生起である、これが生起である>と、
わたしは、いまだかつて聞いたこともないことにおいて、
眼をひらき、智を生じ、慧を生じ、明を生じ、光を生じた」
今度は、「何を滅すれば老死を滅するか?」と縁起を逆走し、
苦の根本解決を知るに至ります。
「比丘たちよ、<これが滅である、これが滅である>と、
わたしは、いまだかつて聞いたこともないことにおいて、
眼をひらき、智を生じ、慧を生じ、明を生じ、光を生じたのである」
「比丘たちよ、たとえば、ここに人ありて、人なき林の中をさまよい、
ふと、古人のたどった古道を発見したとするがよい。
その人は、その道にしたがい、進みゆいて、古人の住んでいた古城、
園林があり、岸もうるわしい蓮池がある古き古城を発見したとするがよい」
「わたしは過去の正覚者たちのたどった古道・古径を発見したのである」
ありがとう! スジャータ村の祠。
このお経「城邑」は、パーリ語・阿含「相応部」の「因縁編」に
おさめられています。
「因縁編」は縁起に関する77経もがあり、
繰り返し繰り返し繰り返し縁起を説いていて、
正直、そんなに面白くはないです。
でもその中で、「城邑」には感動しまくりでした。

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