私は幸せでありますように ウェーサーカ祭
5月8日、日本テーラワーダ協会主催の「ウェーサーカ祭」に行きました。
上座仏教では、お釈迦さまの誕生・成道・般涅槃(入滅)が同じ日とされ、
この祝祭記念がウェーサーカ祭です。
わからないなりに仏典や仏教専門書を読んだりする日々ですが、
この5月8日は、いろいろな意味で初心に帰ることができました。
◆私は幸せでありますように
昨年もそうでしたが、A.スマナサーラ長老のリードで、
まず「慈悲の瞑想」Metta Bhâvanâ を行います。
その冒頭の言葉はこれです。
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私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)
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よく言われる「生きとし生けるものが幸せでありますように」
も出てくるのですが、最初は「私」の幸せを唱えるのです。
なんで仏教に足を踏み入れたのか。思い起こせば、
やっぱり「私が幸せである」ためだったわけです。
仏教以前に、個人的な人生経験上、
私が幸せでなく、自分の欠落を埋めるために、
「世のため人のため」という大義名分に依存すると、
いちばんタチの悪い事態となります。
まずは自分が冷たく青い満月のようになりたい。
慈悲の瞑想についての協会の解説
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
◆ お釈迦さまは道先案内人
「お釈迦さまは、卒業するまでの先生です。
道先案内人なのです。それだけです」
スマナサーラ長老は、
そういった意味のことを法話で話されました。
佐々木閑先生の著書『犀の角』にも、全く同じことが
書かれていました。
これが、私にとってのお釈迦さまであり、仏教なのだと再確認。
それ以上の何を求める必要があるでしょうか。
◆ 宗教は総合芸術
パーリ語の節回し、韻を踏んだお経。
仏旗の色、僧衣の壊色、釈迦像、献花。
今年のスナナサーラ長老は、スッタニパータをパーリ語で
読みながら解説してくれました。
ふだんは、文字で、しかも日本語の現代訳で読んでいて、
それも素晴らしく美しいですが、
やはり価値の半分もわかってないのだと思いました。
名曲の歌詞を文字で読んでもわからないのと同じように。
映画は総合芸術だと言われますが、宗教も、
色と音と感覚と六根総動員で感じるものだと、当たり前のことを再認識。
意味に閉じ込めてはいけないですよね。
テーラワーダ協会のHPに
三法帰依などのパーリ語音声ファイルがあります。
http://www.j-theravada.net/raihai.html#raihai

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