阿弥陀仏はどうやって登場するか(『無量寿経』2)
浄土三部経のうち最初にできた「無量寿経」(AC100年頃)の続きです。
このお経を読むとき、ひとつの関心は、阿弥陀仏の登場の仕方でした。
架空の仏・阿弥陀物仏をクリエイトする以上、
信じるに足る由来などが説明されているのではないか?
読んでみた結果、別に説明されていませんでした!
(以下、梵文和訳)
「師(お釈迦さま)はアーナンダにこのように言われた。
『アーナンダよ。昔、過去の時、今を去ること無数劫の、
さらに無数・広大・無量・不可思議のとき、ディーパンカラ(然燈)と
名づけられる如来・敬われるべき人・正しく目覚めた人が世に出られた。
アーナンダよ、ディーパンカラの前のさらに前に、
プラターパヴァットという名の如来がおられた。
それよりさらに前に、プラパーカラという名の如来がおられた。
それよりさらに前に、チャンダナ・ガンダという名の如来がおられた。
それよりさらに前に、スメール・カルパという・・・・(以下ず~っと続く)』」
それ、誰よ!?と当惑しているうちに、
初めて聞く如来の名前が80人も続きます(80人目はシンハ・マティ)。
で、81番目に「ロケーシヴァラ・バージャ如来(世自在王)」がいて、
その弟子の修行者「ダルマーカラ(法蔵菩薩)」が五劫(何億年?)のあいだ
考え続けたのちに、「無量光如来」(アミターバ、阿弥陀仏)になったというのです。
「おられた」「おられた」以上の説明はないので、
「はぁ。おられたんですか」としか言いようがないまま、
最後にあっさり法蔵菩薩→無量光如来が登場するのです。
チベットの阿弥陀仏。英語だとAmitabha Buddhaとなっていた。
本の後半に納められた漢訳・無量寿経では、
80でなく53仏が挙げられ、世自在王は過去54番目の如来です。
過去仏思想は初期仏教時代からあって、
お釈迦さまは7番目の如来、また未来には弥勒仏が待機中だとされました。
解説によると、
「ブッダの神格化の発展につれ、過去24仏、過去32仏が考えられた。
浄土教では大乗仏教の多仏思想を阿弥陀仏(実は釈迦牟尼仏と一致する)一仏で
統一しようとする意図を有していたから、魏訳では53仏と、阿弥陀の師仏たる
世自在王仏を列挙する」とあります。
梵訳、魏訳、宋訳、唐訳によって、それぞれ過去仏の数が違うのです。
そして、阿弥陀の師・世自在王=ロケーシヴァラとは、
なんとヒンズー教のシヴァ神の別名だそうです。
気になるのは、阿弥陀仏や無量寿教を創作した人たちの”現場”です。
アミターユス(無量の光)は、ゾロアスター教のアブラマアズダ(光の神)
とも似ているし、太陽信仰はどこにでもあるし・・・・それらの影響で、
たとえばゾロアスター教徒のペルシア人と交流しているうちに、
「どうも無量光仏というのがいるらしい」として自然に信仰が広がったのか。
それとも、誰かが自覚的に「無量光・無量寿の2仏をくっつけて、
阿弥陀如来で天下統一する?」みたいな感じで創作したのか?
(前者のほうが自然ですけどねえ。下巻の「阿弥陀経」を読めばわかるのでしょうか)
あと、無量寿経の80仏は誰が考えたのか?
結集(編集会議)のときに、「次は、えーと、チャンダナ・ガンダでいきますか」
というふうに、適当に過去仏の名前を作っていった・・・わけはないでしょうが、
53とか80とか数もバラバラなので、そんな想像をしてしまいます。
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